The Only True God and Jesus Christ Whom He Hath Sent  

イエス・キリストの証

唯一のまことの神と,その神がつかわされたイエス・キリスト

々な衝突や争 いなどが見られるこの世の中 で,末日聖徒イエス・キリスト教会への関 心はますます高まっています。主は,この 末日の業が「不思議な驚くべきわざ」1 と なると昔の人々に言われました。まさにそ のとおりです。すべての人に,この業がい かに驚くべきものかをよく知ってもらいた いと願っています。しかし残念なことに, この業について調べながら,わたしたち が「クリスチャン」だということを不思議に 思う人がいます。

一般に,わたしたちがクリスチャンかど うかという議論の根本にあるのは,二つの教義上の事柄,つまり,わたしたちが 持っている神会についての概念と,啓示 は今も続いているという信念です。これ が正しければ,聖文は完結したものでは ないということになります。この点につい て,わたしたちは弁解するかのように信仰 を擁護する必要はありません。しかし,誤 解を受けることは避ける必要があります。 そこで,今日 は理解を深めていただくた め,また,わたしたちがクリスチャンであ ると世界にはっきりと宣言するために,こ の二つの教義上の事柄のうちの一つ目に ついて話します。

末日聖徒イエス・キリスト教会の信仰箇 条は,最初に次の信条を伝えています。 「わたしたちは,永遠の父なる神と,その 御子イエス・キリストと,聖霊とを信じる。」2 わたしたちは,一つの神会を構成するこ の3人の聖なる御方が目的や手段,証 ,使 命において一つであられると信じていま す。この御三方は人類家族を救うための 方法,手段,献身の深さにおいても一つ であり,神として憐 れみと愛,正義と恵み, 忍耐,赦 し,そして贖 いについて同じ思い をお持ちであると信じています。わたした ちの信仰によれば,この御三方が永遠に かかわる重要な事柄において,考え得る 限りのすべての点について一致してい らっしゃると言って間違いありません。た だし,わたしたちはこの御三方が結合して一体となっておられるとは信じていませ ん。三位一体の概念は聖文のどこにも 載っていません。なぜなら,それは正しく ないからです。

わたしたちは聖典から分かるように、御父と、御子と、聖霊が別々の神性な御三方であられることをはっきりと宣言します。

事実,信頼性の高さで定評のある『ハー パー聖書注解』(Harper’s Bible Dictionary) には,次のように記録されています。 「4世紀から5世紀に教会の大会議で正式 に定義された三位一体の教義は,〔新約 聖書〕の中には見いだすことができな い。」3

ですから,神,キリスト,聖霊に対する末 日聖徒イエス・キリスト教会の概念が現代 のキリスト教のそれとは異なるとする批判 があったとしても,それは末日聖徒が持つ キリストに対する概念や信仰についての 議論にはなりません。むしろそれは,神 会に対するわたしたちの概念が新約聖書 以降のキリスト教史に登場するものでは なく,イエス御自身の教えに基づくものだ と認めていることになるのです(的確に認 めている,と言ってもいいでしょう)。ここ で,新約聖書以降の歴史について説明す ると理解しやすいかもしれません。

紀元325年,ローマ皇帝コンスタンティヌ スはニカイア(ニケーア)公会議を招集し ました。神が「三位一体であられる」とす る,当時関心の高まっていた説の真偽な どを討議するためでした。牧師や哲学者, 高位聖職者たちの間で熱を帯びた議論が 繰り広げられ,その結果生み出されたもの が後にニカイア(ニケーア)信条として知ら れるようになります(この信条は,さらに 125年の歳月と3回の公会議の後に完成し ます)4。また,後には「アタナシウス信条」 などに形を変えていきました。こうして 様々に形を変え,改訂を重ねていったこ の信条と,その後数世紀にわたって作ら れた別の信条が宣言したのは次のような ものでした。「父と子と聖霊は抽象的,絶 対的な存在で超越した能力を備えておら れる。いかなる場所,いかなる時にも存 在し,同じ存在者の異なる表れであり,互 いに永遠の存在であり,不可知であり,体 も手足も感情もなく,時空を超越しておら れる。」これらの信条によると,御三方は 別個であるにもかかわらず,一個の存在なのです。これが,よく言われる「三位一体 の謎」というものです。異なる御三方であ られるにもかかわらず,3人の神ではなく 1人の神なのです。そして御三方は皆,理 解不可能な存在であり,かつ理解不可能 な御一方の神であられるというのです。

わたしたちは,少なくとも神に対するこ のような概念が理解不可能であるという点 については,わたしたちを批判する人た ちとまったく同感です。このように神の存 在について混乱を招くような定義が教会 に押しつけられていたのですから,4世紀 の修道士が次のように嘆いたのも驚きに 当たりません。「悲しいかな。わたしの神 が奪われてしまった。……これではだれ を礼拝し,だれに祈ればいいのかも分か らない。」5 理解不可能なうえに不可知の 御方をどのようにして頼り,愛し,礼拝す ればよいのでしょう。その御方のようにな るために努力するといっても,どのように すればよいのでしょう。「永遠の命とは, 唯一の,まことの神でいますあなたと,ま た,あなたがつかわされたイエス・キリス トとを知ることであります」6 というイエス が天の御父にささげられた祈りはどのよ うに解釈したらよいのでしょうか。

わたしは,いかなる人の信条やいかな る宗教の教義も軽んじるつもりはありま せん。わたしたちが自分の信条を尊重し てほしいと願っているように,わたしたち もほかの人が持つ宗教の教義を尊重して います(これは,この教会の信仰箇条にも 書かれています)。しかし,紀元4世紀か ら5世紀の時代の神会に対する概念を受け入れていないからという理由で,わたし たちのことをクリスチャンではないと言う 人がいるのであれば,生けるキリストをそ の目で見た初期のキリスト教の聖徒たち について,どのように理解すればよいので しょうか。彼らもそのような概念は持って いませんでした。7

聖文から分かるように,わたしたちは, 父と子と聖霊が別個の御方であり,御三 方が神であられることが明白な事実であ ると宣言します。先ほど述べた救い主に よる執り成しの祈り,救い主がヨハネの 手からお受けになったバプテスマ,変貌 の山でのご経験,ステパノの殉教 。これら の4つの例を挙げるだけでも,これが紛れ もない真実であることが分かります。

これらの新約聖書の例や,ほかにも知 られている例8 について読めば,イエスの 次の言葉が何を意味するかは問うまでも ないかもしれません。「子は父のなさるこ とを見てする以外に,自分からは何事もす ることができない。」9 別の場面ではこうも おっしゃっています。「わたしが天から 下ってきたのは,自分のこころのままを行 うためではなく,わたしをつかわされたか たのみこころを行うためである。」10 御自 分に敵対する者についてはこう言われま した。「〔彼らは〕わたしとわたしの父とを 見て,憎んだのである。」11 そして当然な がら,イエスは常に御父を敬い,その御心 に従っておられたので,「なぜよい事につ いてわたしに尋ねるのか。よいかたはた だひとりだけである。」12「父がわたしより 大きいかたであるからである」13 とも言われました。

「わが父よ,もしできることでしたらどう か,この杯 をわたしから過ぎ去らせてくだ さい。」14 「わが神,わが神,どうしてわた しをお見捨てになったのですか。」15 など, 苦しみの中で語られた言葉を含めて,イ エスが地上におられた間,熱烈に祈り求 められた相手は一体どなただったので しょうか。神会の御三方が完全に一致し ていながらも別個の個性をお持ちだと認 めたからといって,多神教の罪を犯してい ることにはなりません。むしろそれは,イ エスが来られ,神の存在の本質について 明らかにされた偉大な啓示の一部です。 このことを最もよく表現したのは,恐らく 使徒パウロの次の言葉でしょう。「……キ リスト・イエス……は,……神のかたちであ られたが,神と等しくあることを固守すべ き事とは思わ〔なかった〕。」16

これと関連して,末日聖徒イエス・キリ スト教会をキリスト教の枠の中に入れよう としない人がいるもう一つの理由は,神が 栄光に満ちた肉体を持っておられるとい うわたしたちの信仰です。これは,古代の 預言者や使徒も信じてきたことです。17 聖 文に基づいたこの信条を批判する人に対 して,わたしは少なくとも次のような理論 的な方法で尋ねます。肉体をお持ちの神 という概念が受け入れ難いのであれば, なぜ,主イエス・キリストが肉体をまとって お生まれになり,贖罪 を行い,肉体の復活 をなさったことが,キリスト教のすべての 教派が持つ教義の中核であり際立った特 徴となっているのですか。神にとって肉 体を持つことが不必要なだけでなく望ま しくないのであれば,なぜ人類の贖い主 が御自身の肉体を死と墓から贖われたの ですか。この贖いによって,主の肉体と霊 はこの世でも永遠の世でも決して離れる ことのないものとなったのです。18 肉体を 持っていらっしゃる神という概念を拒絶 するということは,死すべき体をお持ち になったキリストと復活されたキリスト の両方を否定するということです。真の クリスチャンを自負する人にこれができる でしょうか。

わたしの話を聞いている皆さんの中で,末日聖徒がキリスト教徒かどうかを疑 問に感じてきた人がいれば,わたしはこ こで次のことを証します。イエス・キリスト は,文字どおり生ける神の,生ける御子で す。このイエスと呼ばれる御方は,わたし たちの救い主であり贖い主であり,御父 の指示の下に天地とその中にある万物を 形造られました。わたしは証します。この 御方はおとめである母から生まれ,その 生涯に力ある奇跡を行われました。この 奇跡は大勢の弟子たちのみならず,敵対 する者たちも目 の当たりにしています。わ たしは証します。この御方は神であるた めに死を制する力をお持ちだったにもか かわらず,ある期間にわたって死すべき肉 体を持つことにより,わたしたちのために 進んで死に従われました。わたしは宣言 します。進んで死に従われたことにより, 救い主は世の罪を負い,アダムから世の 終わりに至るまですべての人の悲しみや 病気,心痛,不幸に対して無限の代価を 払ってくださいました。これによって,肉 においては墓に打ち勝ち,霊においては 地獄に打ち勝って人類を解放されたので す。わたしは証します。イエスは文字どお り墓からよみがえりました。そして復活の すべての過程を終えるため御父のみもと に昇られた後,旧大陸と新大陸にいる何 百という弟子たちに,イエスは繰り返し 御姿 を現されました。わたしは知ってい ます。イエスはイスラエルの聖者であり, 最後の日に栄光をまとって再び来られ,主 の主,王の王となって地球を統治するメシ ヤであられます。わたしは知っています。 この御方の功徳と憐れみと永遠の恵みに ひたすら頼ることによってのみ,19 わたし たちは永遠の命を得ることができるので す。わたしは,このほかには人を神の王 国に救う道も名も天下に与えられていな いことを知っています。

最後に,この輝かしい教義について,も う一つの証を付け加えます。末の日に迎 える福千年での統治に備えるために,イ エスは荘厳な栄光ある肉体をまとってす でに何度も地上に来られています。1820 年の春,14歳の少年が森に入り祈りをさ さげました。ほとんどのキリスト教徒がいまだに理解できずにいる,まさにこれら の教義の多くに関して疑問を抱いたから です。この少年がささげた心からの祈り はこたえられ,後に預言者となるジョセ フ・スミスの前に,御父と御子が肉体を持 つ栄光ある存在として御姿 を現されまし た。この日が,新約聖書に記されている 主イエス・キリストの真の福音の回復と,ア ダムから今日 まで続く預言者が教えてき た真理の回復の始まりを告げたのです。

これまで述べた事柄が真実であること を証します。そして,これと同じ確信を求 める者に天が開かれることを証します。 真理の御霊 を通して,「唯一のまことの神 と,〔その神がつかわされた〕イエス・キリ スト」20 をすべての人が知ることができま すように。また,聖霊によってこの知識を 得たならば,言葉だけでなく,実践によっ て神とイエス・キリストの教えに従い,真の クリスチャンとなることができますよう,イ エス・キリストの御名 によって祈ります。 アーメン。

  1. イザヤ29:14

  2. 信仰箇条1:1

  3. ポール・アクテマイヤー編(1985年) 1099,強調付加

  4. コンスタンティノポリス公会議,紀元 381年;エフェソス公会議, 紀元431 年;カルケドン公会議,紀元451年

  5. オーウェン・チャドウィック,Western Asceticism(1958年)235で引用

  6. ヨハネ17:3,強調付加

  7. この件に関する討論の全文は,スティー ブン・E・ロビンソン,Are Mormons Christian?,71-89を参照。ロバー ト・ミレ,Getting at the Truth , (2004年)106-122も参照

  8. 例として,ヨハネ12:27-30;ヨハネ 14:26;ローマ8:34;ヘブル1:1-3 参照

  9. ヨハネ5:19。ヨハネ14:10も参照

  10. ヨハネ6:38

  11. ヨハネ15:24

  12. マタイ19:17

  13. ヨハネ14:28

  14. マタイ26:39

  15. マタイ27:46

  16. ピリピ2:5-6

  17. デビッド・L・ポールセン,"Early Christian Belief in a Corporeal Deity: Origen and Augustine as Reluctant Witnesses," Harvard Theological Review, 第83巻,no.2 (1990年)105-116。デビッド・L・ ポールセン,"The Doctrine of Divine Embodiment: Restoration, Judeo- Christian, and Philosophical Perspectives", BYU Studies,第35 巻, no.4(1996年)7-94。ジェーム ズ・L・クーゲル,The God of Old: Inside the Lost World of the Bible, (2003年)xi-xii, 5-6, 104-106, 134-135。クラーク・ピノック, Most Moved Mover : A Theology of God’s Openness,(2001年)33-34参照

  18. ローマ6:9;アルマ11:45 参照

  19. 1ニーファイ10:6;2ニーファイ2:8; 31:19;モロナイ6:4; ジョセフ・スミ ス訳ローマ3:24参照

  20. ヨハネ17:3

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わたしの話を聞いている皆さんの中で,末日聖徒がキリスト教徒かどうかを疑 問に感じてきた人がいれば,わたしはこ こで次のことを証します。イエス・キリスト は,文字どおり生ける神の,生ける御子で す。このイエスと呼ばれる御方は,わたし たちの救い主であり贖い主であり,御父 の指示の下に天地とその中にある万物を 形造られました。