岸信子

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信子母さんのエッセイ第20回「手紙」

By | 2017-09-22T18:25:01+00:00 2017年9月22日|Categories: ブログ, 子育て, 家族, 岸信子|

昔と比べ、手紙を書く機会は、驚くほど少なくなりました。 若くないわたしでも、最近は簡単で便利なメールとラインばかり。 文字を書くことなど滅多にありません。 そんなわたしの手紙の思い出。 ダントツ一位は、夫から届いたプロポーズの手紙です。 結婚を前提として付き合っていたわたしたちでしたが、それでもやっぱり何か形は欲しい!そんなときに届いた手紙でした。 当時流行っていた愛国駅から幸福駅までの切符を模した「幸福行きのハガキ」に記されていたものです。 「愛する信子様 私は君を幸福にするために愛国からやって来ました。これはそのための切符です。 君にだけにしか発売しません。 すぐには幸福へは行けないかもしれませんがずーっと乗っててください。 道をはずれないように運転します。 英治」 今日は、夫に、この手紙の返事を書いてみようと思います。 「愛する英治さま 1983年10月20日に東京神殿で結婚して始まった 小さな1両編成列車の旅。 幸福駅に向かって2人で出発したけれど、乗客が1人増え、2人増え…いつのまにか10人増えて、賑やかで楽しい旅になったよね。 故障したり、引き返したり止まったり、また進んだり…  全てが順調な旅ではなかったけれど、 それでも、しっかりハンドルを握りしめて、前を向いて進んでくれたあなたに 心から感謝しています。 大きくなった子どもたちは、1人降り、2人降り、3人降り…  新しい家族と共に、 今度は自分たちの列車で幸福駅に向かっています。 そのうちに、みんな降りて、またわたしたち2人だけになるでしょう。 寂しいかって? いいえ、楽しみです。 新婚の頃のようにあなたと二人でおしゃべりしながら、流れる景色を楽しみたい。 ぼくは幸福駅に ちゃんとたどり着けるかな?と昔あなたは言ったけど、 この旅全部が幸福の中にあるんだってこと、わたし途中で気づいたの。 ゆっくり進もう。急がなくてもいいよ。 あなたが好き。 運転するあなたの横顔を見ながら、ずーっと乗っているからね。信子」

信子母さんのエッセイ第19回「土の中のミミズ」

By | 2017-09-22T18:01:49+00:00 2017年9月15日|Categories: ブログ, 子育て, 家族, 岸信子|

三男息吹は26歳。最近第一子が生まれ、父親になったばかりです。 その彼が高校生だった頃に 末の弟不動が口にした言葉を、 彼は今でも覚えていると言います。 当時幼稚園児だった七男不動は、兄の息吹にこう言ったのだそうです。 「ぼくは、いるだけで ひとのやくにたつ ミミズになりたい」と。 それを聞いて、わたしは驚きました。 土の中のミミズの話は、以前教会で小さい子どものクラスを受け持っていたわたしが、 当時の子どもたちに教えたものです。 そのクラスの中に不動もいました。 ホワイトボードに、色画用紙で作った花や太陽の絵を貼りながら、 こんな話をしたと記憶しています。   *****   「太陽は、空でまぶしく輝いて、お花が大きくなるのを助けます。 雲は、雨を降らせて、お花が大きくなるのを助けます。 ミミズは、土の中で動き回って、お花が大きくなるのを助けます。 みんな お花が大きくなるお手伝いをしています」 「ミミズも?」 「そう! 土の中で動き回って、土を柔らかくして、 お花の役に立ってるの。 みんな誰かの役に立ってるんだよ」   *****   あれから10年の時を経て知った当時の幼い息子の言葉。 「ぼくは、いるだけで ひとのやくにたつ ミミズになりたい」 そうか、ふうちゃんは、そんなふうに思ってくれてたんだね…。 子どもたちはわたしたちが思っている以上の感受性と理解力を 持っているということを改めて実感しました。 さらに、そんな弟の言葉をずっと心に留めている息吹を通して、 さりげない一言が、時には人に勇気や導きを与えていることに、 改めて気づくことができました。 見えないところでしていることでも、 自分では意識していないことでも、 一人一人の行いや言葉が、こんなふうに影響を及ぼしあい… そうやってわたしたちは生きてるんだ…   … みんな誰かの役に立っています。土の中のミミズのように。  

信子母さんのエッセイ第18回 「小さいお母さん」

By | 2017-09-08T18:10:27+00:00 2017年9月8日|Categories: ブログ, 子育て, 家族, 岸信子|

NHKの連続テレビ小説「おしん」が放送されていたのは、 もう30数年も前のこと。おしんという小さい女の子の健気な頑張りが涙を誘う、 大人気の朝ドラでした。 わが家の次女愛実(まなみ)は、小学生の頃、近所のおばあちゃんから 「平成のおしん」と言われたことがあります。 その日、愛実が弟をおんぶして、近所の公園へ向かっていたときのことでした。 近くに住んでいたおばあちゃんが目を丸くしてこう言ったのです。 「ばあ、どうか!まなみちゃんは、ほんなこつ良か子ねえ! (まあ、どうでしょう!まなみちゃんは本当にいい子ねえ!) いまどき、弟ば かろて子守する子なんかおりゃせんよ (今時、弟をおぶって子守する子なんていないよ) そら だっでん、自分が遊ぼごたるもん (そりゃあ誰でも自分が遊びたいもの) 偉か、偉か!ほんなこて感心! (偉い、偉い!本当に感心!) まなみちゃんは平成のおしんたい! (まなみちゃんは平成のおしんだよ!)」 それは 相当な褒め言葉だったのですが、 愛実は なんのことやらさっぱりわからなかったようです。 わたしは苦笑してしまいました。 小学生だった愛実に、弟を背負って子守をするよう命じたわけでは、 もちろんありません。 それは、彼女の希望でした。 「ねえ、お母さん!おんぶさせて!」と、 ままごとでお人形をおんぶするように、 弟をおんぶするのが愛実はとても好きだったのです。 愛実だけではなく姉の麗花(れいか)も、 こちらから頼まなくても、弟や妹たちと いつも楽しそうに遊んでくれました。 親のわたしが驚くほど、 弟や妹たちに忍耐強く優しく接する 愛情溢れた二人の姿は、 本当に 小さいお母さんそのものでした。   その小さいお母さんだった二人が結婚して、 今や、本物のお母さんになっています。 感慨深いです。 日々子育てに奮闘している娘たちを見ていると、 小さいお母さんだった頃の二人を思い出します。 あなたたちの子育ては、こんな昔から始まっていたのかもしれないね。 だからきっと大丈夫! 大丈夫だよ!

信子母さんのエッセイ第17回  「誕生日おめでとう!」

By | 2017-09-08T18:10:19+00:00 2017年9月1日|Categories: ブログ, 子育て, 家族, 岸信子|

『5月24日は素敵な日です。 この世にあなたが生まれました!』 もう何十年前になるかな? 独身の頃、友達にもらった一枚のバースデーカード。 そこに書いてあったこの言葉に、 わたしは、何とも言えない嬉しさと 心からの喜びを感じました。 わたしが生まれた日は、素敵な日! この世にわたしが生まれたのは、とっても素敵なことなんだ! …♡♡ 生まれてくれてよかった!と、迎えてくれる両親。 あなたがいてくれて嬉しい、と、喜んでくれる友達。 誕生を肯定される、喜ばれる、祝福される、というのは、 わたしはここにいていいんだと 存在自体を認められることにも通じます。 それは本当に幸せなことです。 だからわたしも 忘れずに、心から祝いたいと思うのです。 子どもたちの誕生日。夫の誕生日。母の誕生日。友達の誕生日。誰かの誕生日。 おめでとう!おめでとう!! 誕生日おめでとう!! 今日はとっても素敵な日です。 この世にあなたが生まれました!!

信子母さんのエッセイ第16回 「そう来たか」

By | 2017-09-08T18:10:07+00:00 2017年8月25日|Categories: ブログ, 子育て, 家族, 岸信子|

結婚した娘たちが話してくれる子どもとのやりとりには、 クスッと笑えるものがよくあります。 最近聞いた 次女と花ちゃんとの会話も、その一つです。 花ちゃんが怒って弟のすいくんを押したので、次女がすぐに注意しました。 「すぐに押したらダメって、もう何度も言ってるでしょ! 嫌なことがあったらお母さんに先に言いなさいって!」 お母さんに言われたことが なかなか守れない花ちゃんは、 ふくれっ面で聞いています。 そんな姿に次女の堪忍袋の尾が切れそうになったその瞬間、 花ちゃんがこう言い放ったのだとか。 「(わたしは)まだ わかんないのっ!」 そう来たか。(๑˃̵ᴗ˂̵)💧 次女の話を聞いていたわたしは おかしくなりました。 「まだ、わかんないのっ!」 開き直りとも言えるその言葉の後に、 花ちゃんはこう続けたかったのかもしれません。 「だってわたしはまだ2歳なんだからねっ!」と。 親は、時々、子どもへの要求を大きくしすぎてしまうような気がします。 まだ小さな子どもに、まるで熟年の大人のような人格を求めてしまうのです。 新米お母さんだったわたしがそうでした。 お友達と仲良くね。何でも貸してあげるのよ。 使ったものは元に戻して。 お話は最後までちゃんと聞いて。 嘘はダメ。悪口はダメ。 ご挨拶を忘れないでね。 ここでは元気に、ここでは静かに。 … そんな立派な大人の振る舞いを、 当時幼稚園児だった長男に要求している自分にハッとして、 その時わたしは自分にこう言い聞かせました。 ねえ、この子は、地上にやって来てまだ わずか数年しか経ってないんだよ。 最初から何でもできるわけないじゃない。 最初から高い人格があるわけないじゃない。 それを学ぶために生まれて来たんでしょ? それを教えるために、わたしがいるんでしょ? いっぺんには出来ないよ。出来るわけないよ。 時間がかかるよ。当たり前だよ。 だから人生は何十年もあるんでしょ。 何十年もかけて学んでいくんだよ。 教えるのは大切だけど、結果を急いじゃダメ。 要求しすぎちゃダメ。 だって考えて!この子の人生は始まったばかり。 地上にやって来てまだ たった数年の子に、 50年生きて来た人みたいな人格を、今求めちゃダメだよ! … と。 … 次女も今、以前のわたしと同じような経験をし、 以前のわたしと同じように反省したようです。 次女は自分の心に言い聞かせました。 [...]

信子母さんのエッセイ第15回「背中で語る」

By | 2017-09-08T18:09:58+00:00 2017年8月14日|Categories: ブログ, 子育て, 家族, 岸信子|

「子どもは親の背中を見て育つ」とは、よく聞く言葉です。 「背中で語る」という言葉もあります。 どうして正面じゃなくて背中なんだろ? あくまでもわたしの感覚なのですが、正面には”意識している”、 背中には”意識していない” というイメージがあります。 意識しないで語る、ということは、その人の生き方そのもので伝える、ということでしょうか? わたしの両親のことを考えてみました。 67歳で亡くなった父は、真面目に黙々と働く人でした。 穏やかで子煩悩で無口で、歌が上手で本が好き。 字を書くのも絵を描くのも物を作るのも、どんな作業も 丁寧すぎるくらい丁寧でした。 思い出すのは、わたしと弟が小さかった頃に父がしてくれたお話や、トランプ手品の数々です。 「もういっかい!もういっかい!」とリクエストするわたしたちに笑顔で応じてくれていた父。 本当に優しかったなあ。 今年86歳を迎えた母は、若い頃から社交的で積極的で、情に厚く、 よく気がつきよく動く、パワフルな人でした。 子どもへの溢れる思いは過保護なくらいでしたが(笑)、 わたしたちが巣立つまで、「自分は後回し。どんな時も子どもが第一!」という姿勢を 、 ブレることなく見事に貫いた母です。 歳を重ねた今でも、娘や孫やひ孫を思い、心は愛に満ちています。 こうして書いてみると、背中は、教えになり、思い出になるんだな、とあらためて思います。 では、わたしの背中は? 夫の背中は? わたしたち夫婦の背中は、子どもたちに何を語っているんだろう? … 先日テレビで、背中を伸ばす体操を紹介していました。 背筋を鍛えることは、姿勢を美しくし、若さを保つだけでなく、内臓にもいいのだとか。 なるほど。 いい背中になりたいものです。 見た目だけでなく、背中で伝えるそのメッセージも。    

信子母さんのエッセイ第14回「すべてはよし」

By | 2017-09-08T18:09:52+00:00 2017年8月11日|Categories: ブログ, 子育て, 家族, 岸信子|

教会の賛美歌の中に「恐れず来たれ聖徒」という歌があります。 わたしの好きな賛美歌の一つです。 西部への苦しい旅を歌っているのですが、 1番から4番までのそれぞれの歌詞が「すべてはよし」という言葉で終わります。 その旅が辛くても、すべてはよし。 旅を終えることなく死んだとしても、すべてはよし。 「終わり良ければすべてよし」という格言とは違って、 この歌は、たとえ終わりが悪くても、すべてはよし、と結んでいるのです。 … よく読めば、すごい歌詞です。 わたしたちの人生には、困難も失敗も不運も逆境も理不尽なことも 不条理なことも理解できないこともあります。 それでも、この歌は告げるのです。 すべてはよし、と。 どうしてだろう? 神様の思いと人の思いは違うからかな、と、わたしは考えます。 一見不幸な出来事が、実は幸福の入り口だった、と後になってからわかったことが、 これまでに 何度もありました。 わたしが最良と思う方法よりも、もっとずっと良い方法を神様はご存知です。 神様の思いは、わたしの思いよりも、はるかに高く、深いからです。 神様は生きておられます。 神様はわたしを知っておられます。 神様はわたしを愛してくださっています。 だから、わたしは願っています。 200年以上も前にこの歌詞を書いたウイリアム・クレイトン兄弟のように、 どんな時も神様を信頼して、すべてはよし、と歌いたいと。 さあ! これから山のような洗濯物を洗います。 ちょっとカッコつけて、英語で歌ってみようかな。 All is well ♪ All is well 🎶 (^○^) ******* 恐れず来たれ,聖徒 Come, Come, Ye Saints 1 恐れず来たれ聖徒 進み行けよ その旅は辛くとも恵みあらん 無益な憂いは払いて努めよ されば喜ばん すべてはよし 2 我が定めを嘆くや 否 良きなり [...]

信子母さんのエッセイ第13回「幸せはこにある」

By | 2017-09-08T18:09:44+00:00 2017年8月8日|Categories: ブログ, 子育て, 家族, 岸信子|

過去に書いたエッセイや日記の中には 忘れられない一瞬が残っています。 12年前のこの日の出来事もそんな一瞬のひとつです。 七男・不動(ふどう)が、4歳頃のことでした。 ブロック遊びをしていた不動は、すぐ上の兄が通う幼稚園の運動会を見たせいでしょうか、 自分も幼稚園に行きたいと言い出しました。 しきりに幼稚園に入りたいと繰り返します。 「もうすぐ入れるよ、春になったら、ふうちゃんも、スモックを着て幼稚園だよ!楽しみだね!」 と言った後、わたしはふと考えました。 10番目の子ども、末っ子の不動が幼稚園に入ったら、いよいよわたしはひとりになるなぁ、と。 「楽しみだけど、でも、お母さんはちょっとだけ寂しいなあ」 「どうして?」 「ふうちゃんが幼稚園に入ったら、お母さんはひとりになっちゃうでしょ」 「どうして?」 「だって、ふうちゃんを幼稚園にお見送りしたら、  お母さんは、一人でおうちに帰らないと行けないからね」 「そうか…」 「寂しいなぁ」 「そうだねぇ…」 「お母さん、どうしようかなぁ」 「どうしようねぇ…」 「困ったなぁ」 「こまったねぇ…」 本当は、そこまで寂しかったわけではありません。(^ν^) 不動が眉間にしわを寄せ、こまったねぇ、と一生懸命言ってくれるのが可愛かったのです。 「困ったなあ」 「こまったねぇ…」 「困ったなあ」 「こまったねぇ….」 そんな会話を楽しんでいたら、突然不動が言いました。 「あっ!いいことおもいついた!」 何かと尋ねると、不動は晴れやかな笑顔で、 わたしが小さくなって、不動と一緒に幼稚園に入園すればいいと、提案してくれたのです。 「お母さんが?」 「うんっ!」 「幼稚園のスモック着て?」 「うんっ!」 不動の嬉しそうな顔。 お母さんが幼稚園に入るの?とまた尋ねると、不動は元気いっぱいに答えました。 「うんっ!ふうちゃんが、ちゃあんとつれていってあげるから!」 その時のことを、わたしは日記にこう書いています。 🍀傾きかかった古い家の、散らかった狭い部屋の中。 ブロック遊びの手を止めて、そう言ったふうちゃんの、とびっきりの笑顔! 幸せは ここにある。🍀 …… そして、今、 高校生になった不動の、空になったお弁当箱を洗いながら、やっぱりわたしは思うのです。 幸せは ここにある 💕

信子母さんのエッセイ第12回「探しものは何ですか?」

By | 2017-09-08T18:09:32+00:00 2017年7月31日|Categories: ブログ, 子育て, 家族, 岸信子|

わたしの世代だと、「探しものはなんですか?」と聞けば、すぐに浮かぶのは、 井上陽水さんの「夢の中へ」でしょうか?   最近の歌はなかなか覚えられませんが、 若い頃に歌っていた歌の歌詞は、今でもスラスラ出てきます。   探しものは何ですか? 見つけにくいものですか? カバンの中も 机の中も 探したけれど見つからないのに まだまだ探す気ですか? … 休む事も許されず 笑う事は止められて はいつくばって はいつくばって いったい何を探しているのか …   と、続くこの歌、わたしもよく熱唱したものです。 ♪♪♪   (^O^)  ♪♪♪ …   探しもの。 わたしの 探しもの。 …   小学生だったわたしは、時々、死んだらどうなるんだろう?と考えました。 火葬されて体がなくなる。 こうやって考えているわたしの”思い”自体もなくなるの? わたしは消えてしまうのかな。 消えたわたしはどこへ行くの?   中学生だったわたしは、しばしば、どうして勉強するんだろう?と考えました。 因数分解、三角関数、元素記号、歴史の年号、遠い外国の山脈の名前 …  何の役にたつんだろ?   高校生だったわたしは、折に触れて、何のために生きているんだろう?と、考えました。 どうして世の中は不平等?何が正しい?普遍的なものは何?…わからないことだらけです。 …   本が大好きだったので、結構読んだかと思いますが、本の中に答えはなく、 先生からも、親からも、友達からもそれは得られず、見つけられないままでした。   それが見つかったのは、短大1年生のとき。 キリストの教えを知ったときです。   『人はどこから来て、 何のためにここにいて、 死んだらどこへ行くのでしょう?』 [...]

信子母さんのエッセイ第11回「心地よい場所」

By | 2017-09-08T18:09:20+00:00 2017年7月25日|Categories: ブログ, 子育て, 家族, 岸信子|

心地よい場所ってどんなところ? と 息子に尋ねてみたら、彼は「トイレ!」と即答しました。   そうじゃなくてさ、どんなとこだったら その場所を心地よく感じられるかとか、 どんなところだったら そこに気持ちよくいられるか、だよ、と言うと、 にやっと笑って「じゃ、”お母さんがいるところ” 的な?」と言い直します。   え? そ、そんな、…ゴマすらなくてもいいですよ…. 苦笑しているわたしに、少し考えて息子は答えました。 「う~ん。自分が自分でいられるところ、かな」   なるほど。 それでは、と、夫も含めた子どもたちみんなに、家族のラインで問いかけてみました。   ”あなたにとって、心地よい場所とは どんなところですか?”   寄せられた答は、次のようなものでした。   ⚫︎自分の居場所があるところ ⚫︎強制されないところ ⚫︎怒ってる人がいなくて みんな笑ってるところ ⚫︎安心できるところ ⚫︎認められるところ ⚫︎愛があるところ ⚫︎否定されないところ ⚫︎役に立ってると感じられるところ ⚫︎責められないところ ⚫︎もっといい自分になろうと思えるところ ⚫︎自然体でいられるところ   なるほどね。   そういう場所にしたいな。 セミナリー※のクラスも、 家庭の中も。   ※ セミナリーとは、14歳から18歳までの青少年が集まって 聖典の勉強をする会。 通常、学校始業前の早朝に行われます。 わたしは毎日4人のクラスを教えています。