宣教師インタビュー

/宣教師インタビュー

ロス長老インタビュー① 自立の精神を養ったホームスクーリング

By | 2017-07-27T15:14:10+00:00 7月 26th, 2017|Categories: 宣教師インタビュー|

今回の宣教師インタビューはアメリカのワシトン州シアトル市から来た、ジャック・W・ロス長老です。 日本の近畿・四国地方でキリストの教えを伝え、人の役に立つ活動に携わってきた、現在20歳の青年です。 シアトル市の対岸、ビュージェット湾に浮かぶ島であるベインブリッジアイランドで四人兄弟の長男として育ったロス長老は、日本では馴染みのない生い立ちを持っています。それは一体どんなものでしょう。 そして、どんな気持ちで日本で宣教師として活動をすることにしたのか、探ってきました。   ➖➖ロス長老は日本では馴染みのない育ち方をされたと聞いていますが、それはどんなものなのか教えてください。   そうですね、私はホームスクーリング※1(自宅で義務教育を受ける)の家庭で育ちました。普通の学校に通学せず、代わりに母から、自宅で、兄弟たちと一緒に教育を受けました。家で教育を受けることをホームスクーリングと呼びます。   ➖➖ロス長老は学校に通わず幼稚園から高校まで自宅で義務教育※2を受けたのですね。すごいですね、全く学校に行ったことがないのですか。   いいえ、いくつかの学校・社会活動、教会の集まりには参加しましたよ。初めて学校に行ったのは中学の時で、数学、音楽、日本語のクラスをとるためでした。そして高校の時は、インターネットでいくつかのクラスをとりました。ですが、学校に年間を通して通学した経験はないです。     ➖➖ホームスクーリングはロス長老にとって良い経験でしたか。具体的にどんなところが良かったのか、もしあるなら聞かせてください。   家で勉強をするので、常にリラックスした環境で学習ができたことが良かったです。わたしの場合は、母が教師代わりになってくれたのでラクでした。母は逆に大変でしたが(笑)。4人兄弟で、それぞれ3歳の歳の差があるので、同時に全員教えるのは大変そうでした。当時15歳、12歳、9歳、6歳の母親としてだけではなく、教師としても一日付き合うことを想像してみてください。かなりの労働です。   そんな母はたくさんの教材を調べて、一番良いと思った教科書や本を選んで使って くれました。そして、1日の勤めを果たし終わった夜には、今度はわたしたちに教えることをまず自分で予習をして、準備して、次の日にそれを教えてくれました。これを毎日繰り返していました。高校生になった時は、母ももちろん教えてくれますが、それと同時にわたしも自分で勉強のスケジュールを立てて、自分で宿題をする時間やテストを受ける時間を管理していました。普通の学校とは違って、自ら責任を持ってやらなくては、何も進まないまま時が経ってしまいます。ですので、やらなかったらその分だけ溜まって、後からこなさなくてはなりません。一年生の時は、それが上手くできずにいっぱい溜め込んで、大変な目に遭いました。でも、失敗して、責任を持って「やるべきことをきちんとやる」ということを学ぶ良い機会でした。   ➖➖ご両親がホームスクーリングを選んだ理由はなんですか。   私が初めて幼稚園に通う歳になった時のことです。どうしてかは分からないですが、母は、私が学校へ通ってもつまらないと感じるだろうと思ったらしいのです。わたしはそう思いませんでしたが(笑)、母はそう思っていました。そして、何よりも母が心配していたのは、学校の評判が悪かったことでした。周りの保護者から近所の学校があまり良い学校ではないことや良い先生が少なく、生徒の評判も悪いという話しを聞いていたので、母は悪い影響をとても心配していました。母自身でも色々調べて、いろんな選択肢を検討した末に、祈り、自分が家で教えるべきだと強く感じたそうです。それ以来、ずっと家庭で教育をしてきてくれました。家庭で教えるにはたくさんの時間と犠牲もあり、彼女は少しずつやり方を学び、工夫をしてくれました。ホームスクーリングを通して、わたしたち家族全員が一緒に成長する機会を得ることができたのではないかな、と感じています。それに、健全な環境を求め、努力を惜しまず教えてくれた母をとても尊敬しています。学校に通ったことが実際にないので完全に比べることはできませんが、良い友達を作る機会もたくさん与えられたし、なんといっても大切だと思う家庭を中心にして生活ができたことに感謝しています。   ※1 ホームスクーリング: ホームスクーリングが盛んな米国などでは、家庭を拠点としながら大部分の時間を戸外の教育機関で過ごすケースがあるため、在宅教育(ホームスクーリング)とともに、自宅ベース教育(home-based education ホーム・ベイスド・エデュケーション)と言う表現も使われる。現在、日本の文部科学省は学校教育法の規定により「義務教育を家庭で行うことを認めていない」としており、従って、日本国内でこれを行う保護者は学校教育法に抵触する事になる。(ウィキベディアより)   ※2 アメリカの義務教育は就学年齢・高校卒業資格などが州によって異なり、また各学区の権限が非常に大きく、学区によって始業日・終業日・休校日・年間授業時間、中学校や高等学校の進級学年の区切り、カリキュラムの内容、飛び級などの方針が異なるが、幼稚園の年長組に当たる年から12年生(小学校1年から12年まで、中学・高校になっても1年から数えなおさず順に数える)までの13年間を指す。通常は初等・中等教育を称してK-12(幼稚園から12年生まで)と呼ぶ。(ウィキペディアより) 次ページ

ロス長老インタビュー② 不安があってもやってみる 信じることは実践すること

By | 2017-07-26T18:04:26+00:00 7月 26th, 2017|Categories: 宣教師インタビュー|

➖➖ホームスクーリングをしたことが今宣教師として役に立ったと思いますか。   わたしは家に長くいた分だけ、勉強と一緒にたくさん母から学びました。彼女から楽観的になるように、また一生懸命働く姿勢を常に見せてもらったし、教えてもらいました。そして、生活のどんなことも神様に頼るように、つまり困った時や悩んでいる時に、祈って神様の期待されていることを尋ねてみたり、互いに助け合ったりする大切さを学びました。神様の言葉を読み、戒めに従って生きれば祝福されると教え続けられ、共に実践してきました。それらの教えは神様を信じるわたしの信仰を強くしてくれたので、神様の言葉を分かち合う宣教師になるうえでは非常に役に立ちました。おかげで、何かを信じるとういことは、単に信じて終わりではなくて、信じているものを実践することが大切だと学びました。そして信じて実践したものは、かならず自分の生活の全ての分野において大きく影響をするのだとよく理解ができました。     ➖➖ロス長老は2年間宣教師として奉仕活動に出ていますが、宣教師は金銭的な準備が必要ですよね。どのようにして準備をしてこられたのですか。   宣教師として活動する期間は働けません。ですから活動の期間の費用は自分たちで前もって準備をして払わなければなりません。私は音楽が好きでピアノやトランペットやトランボンが弾けます。そしてギターも練習していました。音楽隊やジャズバンドなどにも参加しました。ですので、日本に住むための資金は子供にピアノレッスンをして貯めました。     ➖➖ 宣教師になるためには、個人の生活を中断して決まったルールやスケジュールに沿って奉仕に励まなくてはなりません。自己犠牲の大きい勤めです。ロス長老は宣教師になると決めた時はまだ若い高校生の歳でしたよね?その きっかけとなったものはなんですか。宣教師になるまでの心境を分かち合ってください。   わたしの家族全員がモルモンの教会員です。昔、わたしの母側の祖父母と父側の祖父母が教会に改宗して以来みんな会員です。そして、わたしの父も若い頃宣教師としてキリストの教えを人々と分かち合ってきました。ですので、わたしの育った環境の流れでは、わたしも宣教師になる日が来るのだろうと感じていました。宣教師として人に仕えることが大切だということを知っていましたが、高校生になって実際に宣教師になる日が近づいた時は、怖くなりました。なぜなら、2年の間、家族や友達や好きなことから離れて、毎日、一日中人とふれあって教会の教えを分かち合い、必要な時に人を助けることが中心の生活ですから、不安になりました。両親を通して教会のことが大切だと学んでいましたし、教会の教えもないがしろにしたことがありません。宣教師になることは自分に良い経験になるということ、また、人のために働く、人にキリストの教えを分かち合うのは素晴らしいことであるとも知っていました。でも2年間も犠牲を払うことが自分にはできるかな、本当にしたいことかなと悩んだのです。 教会の宣教師として活動することを決めると、まず教会の本部に申請を出します。そして自分が精神的、体力的に準備ができているのかが確認されます。ですが、自分がどこで活動をするのかは決められません。悩んでいる上に、どこに行くのかも分からないし、そのための資金も貯めないといけないし、とても大変だと感じていました。でもある時、EFYという教会の若者のキャンプに一週間参加しました。教会の若者たちが集まり楽しい活動をします。共に聖典を読んだり、祈ったり、みんなと仲を深めたりする特別な期間を過ごしました。そこでグループを指導してくれたある大学生が、自分の宣教師時代の経験をいつも分かち合ってくれました。彼の素晴らしい経験をたくさん聞いているうちに、自分もそんな経験をしたいと強く心に感じました。わたしの中で初めて「奉仕するべき」という気持ちが「奉仕がしたい」に変わった瞬間でした。以前は宣教師になることに対して、それが大事だと知っていただけですが、この時はそれに対して良い気持ちを感じるようになりました。やるべきことに不安があっても、それに対して心の中で良い気持ちを感じるならば、それはやるべきものなのだと思います。だから、わたしも 宣教師になることを選べました。   ➖➖今2年間の奉仕活動が終わりますが、当時の気持ちと今とでは違いますか。   宣教師になる前の自分と今の自分は全く違います。 奉仕活動に携わることを不安に思っていたわたしは、今では逆にその活動ができることに毎日喜びを感じるようになりました。宣教師として旅立つ一週間前に教会に行きました。その教会で活動している宣教師たちに会いました。彼らの宣教師らしい姿を見て、わたしももう少しで仲間になるのだと思うと、興奮して彼らに握手したのを今でも覚えています。それはそれで良かったのですが、それに比べたら今感じる喜びの種類は外見的なものではなく、より深い良いものです。人に仕えること、神様の教えを分かち合うことこそに喜びを感じるようになりました。本当の意味で人を助ける大切さをこの2年で学びました。   ➖➖最後に日本に来て宣教師になった感想をお願いします。   宣教師として最初は不安だらけのわたしでしたが、実は心の中では「日本へ行ってみたいな〜」と思っていました。その願いが叶ってとても嬉しいです。多少不安があっても、やるべきだと感じたことに従って本当によかったです。神様への自分の信仰も強まりました。たくさんの素晴らしい人にも出会って、たくさんの良い経験をしました。日本に来ていない自分を今では想像することすらできません。最高の決断でした。 わたしたち宣教師は毎日祈り、聖典を通して神様の言葉を勉強し、人に仕えることを生活の中心にしています。どうやったらもっと人の役に立てるのかを常に考えて計画をしています。そして個人の成長を目指し、良い人になれるように努めています。宣教師としての期間を終えた後も、良い人になれるよう頑張りたいし、信じていることを生活の中心にしたいです。   インタビューの数日後に、アメリカに帰国するロス長老をお迎えに、彼の両親と兄弟たちが全員日本に来ていました。彼の話していたお母さんにお会いし、お話しをする機会がありました。子どもの生活に朝から晩まで付き合う彼女は疲れ切ったお母さんでは?というイメージがありましたが、実際は全く逆でした。教育としつけの多くを学校に任せてしまいがちな世の中にあって、元気で、信仰心の強い、そして愛の強いお母さんであり、教育者としての務めに生きがいと幸せを感じている素敵な女性でした。 自分の音楽の才能を活かして準備をし、思いっきり奉仕活動への冒険に挑んだロス長老。その頑張る姿の裏には、家庭で受けてきた家族からの愛と、母から受けていた熱心な教育があり、それが宣教師としてのパワーのベースになっていたようです。ホームスクーリングを通して、ポジティブさとやるべきことをしっかりこなすことを学んできたロス長老は責任感にあふれた実践派の宣教師として活躍しました。 自分の信じていることを実際に人に分かち合うって結構勇気のいるものですが、国を離れて自分の2年間を捧げてくれた長老の自己犠牲と積極的さによって、多くの人を笑顔にしたことでしょう。 前ページ

ハンコック長老インタビュー③ 信仰は生き方

By | 2017-06-12T11:05:52+00:00 5月 29th, 2017|Categories: 宣教師インタビュー|

➖➖ いつもとてもポジティブに見えますが、大変な時は何がモチベーションになりますか。 わたしの伝道生活の中で一番辛くてストレスのたまっていた時期に、神様の言葉に慰められました。聖典の中に、神様はどのように人をお助けになるのか、が書かれていました。「わたしは誰によってあなたを助けるか」という言葉が印象的でした。モルモン書※3には、「わたしがあなたがたを癒すことができるように、今あなたがたはわたしに立ち返り、自分の罪を悔い改め、心を改めようとしているか。」(第3ニーファイ9章13節)と書いてあります。キリストを求めなければわたしは癒されません。そして、わたしが常にキリストを探し求めていれば、誰かを助けるために、神様はわたしを使ってくださることに気がつきました。神様の道具となり、人を助けることができるということです。これは本当に素晴らしいことだと思いました。   わたしの好きな曲「The Loneliest Walk」には三人の人が登場します。一人は病気の赤ちゃんを産んだ女性で、入院しながら病と戦っている赤ん坊を見守る母親です。もう一人は奥さんを亡くしたばかりの男性。最後にイエス・キリストが出てきます。 イエス・キリストについて、こう歌っている箇所があります。   「彼が一歩踏みだすと すぐに次の一歩がやってくる もう一つの痛み また一つ飲み込む涙 それでも彼は歩み続けた 彼の体は傷ついていて 鞭の痕が残る背中は見るに堪えない  罪深い人間たちが負わせた傷 彼が一歩踏むだすと すぐに次の一歩がやってくる もう一つの痛み また一つの飲み込む涙 それでも彼は歩み続けた 人生の最も孤独な旅」   わたしはこの歌詞を伝道に例えることがあります。伝道でも人間関係でも「痛み」を感じ、「涙」を流すことがあります。この曲は、イエス・キリストが辛い思いを一人で乗り越えた理由を、わたしたちを一人で歩ませたくないためだったと歌っています。このことを知っていると、朝起きる時の大きなモチベーションになります。「誰も一人にはさせない」という神様の約束を、わたしたちも果たさなければなりません。だから、わたしは人を一人にさせない存在でいたいと思っています。   ➖➖ 神様は常に共にいると知っていることで、生活は満たされていますか それは教会に戻って最初に感じた気持ちです。当時は、朝起きた時良い状態ではなかったし、イライラしてばかりでした。伝道に来る前にした祈りで、一人ではないのだと確信しました。朝目覚める時に、今日は友達がいないかもしれない、誰もわたしと話したくないかもしれない、この状態が続くかもしれない、と考えます。でも、わたしは一人じゃない!全部めちゃくちゃだけど、わたしは一人じゃない。そう感じることがいつも支えです。   ➖➖ ハンコック長老は「できない」とい言葉は絶対使わないと聞いいていますが。 わたしはできないという言葉を信じていません。「できない」はネガティブな言葉です。まるで病気のようなものだと思います。人の成長を止めてしまいます。誰もあなたを止めようとしないのに、自分で自分のできることにストップかけてしまう言葉が「できない」です。頑張ろうとするあなたを神様は止めません。恐ろしいことに、止めてしまうのはわたしたち自身だったりするのです。わたしたちはなんでもできます。でも、できないと言えばそれを信じきってしまいます。   ➖➖ 信仰についてどう考えていますか。 わたしは福音が本だけで教えられるものだと信じていません。わたしは聖書が出てくるはるか前にも、クリスチャンがいたと信じています。そして、クリスチャンになる唯一の方法は、自分の信じていることを実際に行う以外にはないと思います。行動と経験があなたを信仰のある人、クリスチャンにするのです。信仰は言葉ではなく生き方です。   ➖➖ 最後に、長老は後数ヶ月で伝道を終え、母国へ帰りますね。どんな気持ちですか。 帰ったら生活が大きく変わります。先日、帰還した宣教師とメールでやり取りをしていました。伝道から帰ると、自分のことをよく考えるように勧められると話していました。「これから数年何をしようか」、「どんな仕事を選ぼうか」、「どんな人と結婚をしようか」というようなことです。宣教師として奉仕をしている間にはほとんど頭をよぎらないものばかりです。伝道は、「あの人をどう助けようか」、「この人をどうやってそこまで導いていこうか」を常に考えている世界です。自分のことばかり考えるようになってしまうのが怖いです。これからも、今のままで、誰かのことを考える生活を変えたくないと思いました。「わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう」(マタイ10:39)と神様、キリストも話していますから。   人生の2年間を奉仕活動に捧げているハンコック長老。彼は間もなく母国のアメリカに帰りますが、日本にいる残りの間、そして国に帰った後も、人を助け、キリストの教えを分かち合い続けたいと話しています。「神様との繋がりで得てきた幸せを人と分かち合う」これがハンコック長老の、明るくて前向きな性格の秘訣のようです。彼は良心に従って明るさを取り戻して以来、生活の中で大変なことがあっても、人はいつも神様に守られていて、決して一人ではない、そして人との絆を通して、人はさらに強くなれるのだと、今も熱く語っています。    ※ 1 知恵の言葉の戒め ※ 2 バプテスマ ※ 3 モルモン書 Previous123

ハンコック長老インタビュー② 若くても出来ることがある

By | 2017-06-12T11:05:05+00:00 5月 29th, 2017|Categories: 宣教師インタビュー|

➖➖ 伝道に出ると決心したのはどうしてですか よく聞かれる質問です。わたしの答えはいつも簡単です。「そうしなさい」と神様から言われたからです。教会に戻ってから、次々と奇跡が起きました。ある事柄が非常に強い印象で心に残りました。最初の何回かはその印象を無視したのですが、3週間同じことを、同じ時間に、毎日強く感じたのです。最終的には、仕事を辞めて、受かった大学へ行かないことを伝え、そして自分の選んでいたキャリアへの道を中断して伝道へ出ることに決めました。難しい決断だったので、最初は何度も無視しましたが、最後には受け入れることにしました。受け入れた時は疑いがなくなり、穏やかな気持ちを感じました。そこからは事が早く進み、3週間後には、日本へ伝道に行くことになりました。   ―― 良いものを選択したけれど、それとはまた違う道を進むように神様が導いたということですか。そういった神様の促しに従うと、やはりすべてが上手くいくのですか。 一緒に働いてきた宣教師たちを見て気づいたのですが、彼らの多くは素晴らしいアイディアを持っていて、自分が立てた計画を実行するのに積極的です。ですが、神様のアイディアは、わたしたちのアイディアよりはるかに優れたものです。わたしたちに奇妙で難しいことを求めたりなさいますが、それに従うと必ず奇跡が起き始めるのは確かです。   ➖➖ 教会に行っていなかった時期に、自分の自由が奪われていると感じたと話されていましたね。神様の教えを受け入れる時に、生活や習慣の変化が求められる場合がありますが、同じような問題に直面している人にメッセージはありますか。 とにかく神様からの促しを感じたと思ったら、どんなことであろうと行ってみることです。この件に関してわたしが学んだのは、理屈は関係ないということです。わたしたちの考え方と神様の考え方は異なっています。わたしがいつも言うのは、「こればかりは従ってみないと、一生分からないよ」と。誰もあなたの自由を奪おうとしていませんし、自分の自由を奪うのはしばしば自分自身であったりします。神様の教えを理解したいのであれば従ってみるしかありません。試してみてください。試すかどうかの権利は、みなさんにあるのです。タバコをやめた人や他の常用癖をやめようと努力してきた人々を見てきましたが、1週間頑張っただけでも違いはありました。人がそうやって変わっていく姿は素晴らしい奇跡です。   ➖➖ そのような経験をした身近な人のお話をシェアしていただいてもいいですか。 今一人の女性がイエス・キリストのことを学んでいて、彼女は知恵の言葉の戒め※1に苦戦しています。20年以上続いた習慣をやめようとしています。とっても苦労していますが、彼女はやめる努力をしながら、祈り、聖典を読んでいます。わたしは、祈って聖典を読むように進めますが、何についてお祈りをし、どこを読み、どう考えるべきか、決して助言しません。彼女自身が必要とする事柄について祈り、必要としていることを聖典でみつけています。一日6回だった習慣も、今では週1、2回に減りました。ゆっくりだけれど、彼女はとても頑張っています。それを見守るのが嬉しいです。   ➖➖ ハンコック長老自身に難しい経験があったことで、同じような問題に悩む人たちの気持ちを理解しやすくなったと思いますか。 もちろんです。心を変え、行動を変えるのは非常に難しいことだと学びました。けれども、パーティーをすることは難しくないし、飲んだり、良くないものに手を出したりすることはそんなに難しくないのです。他の人も一緒にやっていたら、なおさら簡単にできてしまいます。 以前、バプテスマ※2を受ける決心をした親友がいました。彼は順調に準備していましたが、知恵の言葉※1のことで問題がありました。それは、彼の周りの人たちからのプレッシャーによるものでした。日本の習慣で、新しい人が仕事にやってくるたびに、仕事場のみんなで飲みに行かなくてはならなかったのです。彼はいつもそこで知恵の言葉を守ることができませんでした。彼にやめるように勧めてみました。彼は、「自分だけならやめられるけど、人と一緒にいたらできない」と言っていました。わたしは彼に一つの質問をしてみました。もし、自分が神様の前に立ち「出来る事は全部しました。あの人たちが周りにいる時以は・・・」と話さなければならなかったとしたら、どんな気持ちになりますか?と。彼はそうだねと頷き、飲酒をやめることにしました。 その後、周りは彼に好意的でなくなりました。中傷しました。彼はからかわれたり、物を奪われたりと、とてもひどい目にあいました。でも、彼は「神様が共にいてくださるなら、僕はこのまま頑張れる」と言いました。本当にかっこよかったです。   ➖➖ 伝道をしているといろんな歳の人と出会いますよね。神の教えや人生の幸せの秘訣を語るには若すぎると言われませんか。 そうですね。「君はまだ18、19、20歳ぐらいだろう?車の買い方すらまだ分からないだろう?」と言われたりしますよ。確かに知らないです(笑)。世の中のことはよく知りません。でも、わたしは心のことは分かるし、傷つく気持ちやストレスがたまる気持ちだって分かります、といつも伝えています。もう一踏ん張りができない辛さだって分かります。他の人と同じレベルではないとしても、相手の辛さに共感できる共通点って必ずあります。わたしは神様の教えを試すことで助けられてきました。誰もが同じように試せば、その人の必要なレベルに応じて神様から助けが得られると信じています。 123Next

ハンコック長老インタビュー① いじめっ子だった過去

By | 2017-06-12T11:13:31+00:00 5月 29th, 2017|Categories: 宣教師インタビュー|

先祖代々教会員の由緒正しい家庭に生まれたハンコック長老ですが、以前は教会に不真面目でいじめっ子だったそうです。どのようなきっかけで改心し、今どのような思いで伝道しているのかインタビューを行ってきました。  ハリソン・ハンコック長老:アメリカ、ユタ州プロボで生まれ、テキサス州で育つ。四人兄弟の長男。今は家族から離れ、日本の近畿・四国地域で宣教師として活動している。   ➖➖ 20歳になってどんな気持ちですか 少し変な気持ちです。頭では伝道に出たころの18歳のままの気分。この2年間たくさん変わり、たくさんの事を学びましたが、歳をとっていく実感がありませんでした。伝道生活は前の生活とは違っていたので、気づかないうちに月日が経っていました。19歳になった時は全然気にしなかったけれど、20歳は一つの節目でもあるのですごく変な気持がします。   ➖➖ もう数ヶ月で伝道が終わりますが、どんな気持ちでこの2年間を過ごされましたか 伝道中すごく解放感を感じました。勉強や他では経験することのない方法で、自分の考え方や感じ方が、以前とは変わりました。自分の信じていることを、毎日実践する時間になっています。上手く説明できませんが全身全霊が変わるような経験です。   ➖➖ 長老のご家族は先祖代々末日聖徒イエス・キリスト教会の会員だと聞いていますが。 はい。それが、面白いことに、わたしの先祖は教会の設立当社までさかのぼることができます。5代前の曽祖父、ソロモン・ハンコックは子どもの頃、教会の初代の指導者ジョセフ・スミスと一緒に遊んだ仲でした。1830年、ジョセフ・スミスが預言者になり福音を彼に紹介した時には、それを受け入れました。後に、土地を追われた聖徒たちとともに、ユタ州へ旅をしました。最後は、そこで亡くなったと聞いています。     ➖➖ 先祖との繋がりを感じていますか。 先祖との繋がりは強く感じています。伝道前、わたしの体に腫瘍が二つ見つかりました。一つは膝にあって、もう一つは右耳裏の後頭部にありました。伝道前に後頭部にある方を手術しました。手術を受けた時、早期の快復を願って父が祈ってくれました。「わたしの先祖がわたしと共にいて見守ってくれる」と言われました。この祈りがきっかけであの日以来、彼らの存在をとても近くに感じています。   ➖➖ 教会から離れてしまった時期があったと聞きましたが、再び戻ってくるきっかけとなったことはなんですか。 14、15歳から17歳にかけて教会から離れていました。その当時は教会が嫌いで、会員をいじめていました。良いものであると思ってはいましたけれども、神様の助けなしに自分だけでやっていけると思っていました。とにかく、自分らしく生きたかった。教会がわたしの自由を奪っている気がしたのです。それが理由で、わたしは教会を離れて、嫌な行為までしてしまったのです。 あまり良い気持ちがしなかったのを覚えています。とても自己中心的になっていました。友達を全員無くし、その中の一人はわたしのせいで教会にも行かなくなってしまいました。高校も退学になりかけていました。すでに2度も警告されていたのに、3度目を目の前にして、両親ともよく喧嘩をしてしまったものです。   そんな中、ある夜、わたしは祈りました。いくつか悲しく思っている事もあったので、神様に二つの質問をしました。   一つ目は、「あなたが本当に存在しているのなら、なぜここにいないのですか。なぜわたしは一人ですか。問題を抱えたわたしを助けてくれるはずじゃないのですか」と尋ねましたが、答えを得られませんでした。   そして二つ目に、「あなたはわたしを知っていますか」と神様に聞きました。少し時間がかかりましが、神様は実際に耳で聞こえる言葉でわたしに答えてくれました。心を打たれるようなとてもプライベートな返事で、決して忘れることのない経験です。あの時はただ、ただ、泣きました。   そして、過ちの行動を全て反省し、傷つけた人たち全員に謝るように言われました。ですので、わたしは傷つけた人たちを一人一人訪ねて謝罪しました。 一番辛かったのは、教会に来なくなってしまった友人への訪問でした。わたしは一人で彼の家に向かいました。彼は一人っ子で、当時彼の両親はニューヨークにいましたので、変わりに彼のおばあちゃんに話をしました。その後、友人と話をしましたが、泣きながら自分がしてしまったひどいことを謝り、「神様が僕たち二人に戻ってきて欲しいと感じているから、一緒に戻らないか」と聞きました。彼は「いいよ」と答えてくれました。そして、その週の日曜日から再び、わたしたちは一緒に教会へ集い始めました。その時、初めて自分の過ちを赦(ゆる)してもらえたと感じました。もちろん、学校も無事に卒業できました。 123Next