Kishi Nobuko

/岸信子
岸信子

About 岸信子

七男三女、12人家族のお母さん。10人の子供たちを育てた経験から子育てや家族に関する執筆や講演活動を行なう。

第15回「背中で語る」

By | 2017-08-10T15:16:56+00:00 8月 14th, 2017|Categories: ブログ, 岸信子|

「子どもは親の背中を見て育つ」とは、よく聞く言葉です。 「背中で語る」という言葉もあります。 どうして正面じゃなくて背中なんだろ? あくまでもわたしの感覚なのですが、正面には”意識している”、 背中には”意識していない” というイメージがあります。 意識しないで語る、ということは、その人の生き方そのもので伝える、ということでしょうか? わたしの両親のことを考えてみました。 67歳で亡くなった父は、真面目に黙々と働く人でした。 穏やかで子煩悩で無口で、歌が上手で本が好き。 字を書くのも絵を描くのも物を作るのも、どんな作業も 丁寧すぎるくらい丁寧でした。 思い出すのは、わたしと弟が小さかった頃に父がしてくれたお話や、トランプ手品の数々です。 「もういっかい!もういっかい!」とリクエストするわたしたちに笑顔で応じてくれていた父。 本当に優しかったなあ。 今年86歳を迎えた母は、若い頃から社交的で積極的で、情に厚く、 よく気がつきよく動く、パワフルな人でした。 子どもへの溢れる思いは過保護なくらいでしたが(笑)、 わたしたちが巣立つまで、「自分は後回し。どんな時も子どもが第一!」という姿勢を 、 ブレることなく見事に貫いた母です。 歳を重ねた今でも、娘や孫やひ孫を思い、心は愛に満ちています。 こうして書いてみると、背中は、教えになり、思い出になるんだな、とあらためて思います。 では、わたしの背中は? 夫の背中は? わたしたち夫婦の背中は、子どもたちに何を語っているんだろう? … 先日テレビで、背中を伸ばす体操を紹介していました。 背筋を鍛えることは、姿勢を美しくし、若さを保つだけでなく、内臓にもいいのだとか。 なるほど。 いい背中になりたいものです。 見た目だけでなく、背中で伝えるそのメッセージも。    

第14回「すべてはよし」

By | 2017-08-10T14:58:36+00:00 8月 11th, 2017|Categories: ブログ, 岸信子|

教会の賛美歌の中に「恐れず来たれ聖徒」という歌があります。 わたしの好きな賛美歌の一つです。 西部への苦しい旅を歌っているのですが、 1番から4番までのそれぞれの歌詞が「すべてはよし」という言葉で終わります。 その旅が辛くても、すべてはよし。 旅を終えることなく死んだとしても、すべてはよし。 「終わり良ければすべてよし」という格言とは違って、 この歌は、たとえ終わりが悪くても、すべてはよし、と結んでいるのです。 … よく読めば、すごい歌詞です。 わたしたちの人生には、困難も失敗も不運も逆境も理不尽なことも 不条理なことも理解できないこともあります。 それでも、この歌は告げるのです。 すべてはよし、と。 どうしてだろう? 神様の思いと人の思いは違うからかな、と、わたしは考えます。 一見不幸な出来事が、実は幸福の入り口だった、と後になってからわかったことが、 これまでに 何度もありました。 わたしが最良と思う方法よりも、もっとずっと良い方法を神様はご存知です。 神様の思いは、わたしの思いよりも、はるかに高く、深いからです。 神様は生きておられます。 神様はわたしを知っておられます。 神様はわたしを愛してくださっています。 だから、わたしは願っています。 200年以上も前にこの歌詞を書いたウイリアム・クレイトン兄弟のように、 どんな時も神様を信頼して、すべてはよし、と歌いたいと。 さあ! これから山のような洗濯物を洗います。 ちょっとカッコつけて、英語で歌ってみようかな。 All is well ♪ All is well 🎶 (^○^) ******* 恐れず来たれ,聖徒 Come, Come, Ye Saints 1 恐れず来たれ聖徒 進み行けよ その旅は辛くとも恵みあらん 無益な憂いは払いて努めよ されば喜ばん すべてはよし 2 我が定めを嘆くや 否 良きなり [...]

第13回「幸せはこにある」

By | 2017-08-08T14:13:47+00:00 8月 8th, 2017|Categories: ブログ, 岸信子|

過去に書いたエッセイや日記の中には 忘れられない一瞬が残っています。 12年前のこの日の出来事もそんな一瞬のひとつです。 七男・不動(ふどう)が、4歳頃のことでした。 ブロック遊びをしていた不動は、すぐ上の兄が通う幼稚園の運動会を見たせいでしょうか、 自分も幼稚園に行きたいと言い出しました。 しきりに幼稚園に入りたいと繰り返します。 「もうすぐ入れるよ、春になったら、ふうちゃんも、スモックを着て幼稚園だよ!楽しみだね!」 と言った後、わたしはふと考えました。 10番目の子ども、末っ子の不動が幼稚園に入ったら、いよいよわたしはひとりになるなぁ、と。 「楽しみだけど、でも、お母さんはちょっとだけ寂しいなあ」 「どうして?」 「ふうちゃんが幼稚園に入ったら、お母さんはひとりになっちゃうでしょ」 「どうして?」 「だって、ふうちゃんを幼稚園にお見送りしたら、  お母さんは、一人でおうちに帰らないと行けないからね」 「そうか…」 「寂しいなぁ」 「そうだねぇ…」 「お母さん、どうしようかなぁ」 「どうしようねぇ…」 「困ったなぁ」 「こまったねぇ…」 本当は、そこまで寂しかったわけではありません。(^ν^) 不動が眉間にしわを寄せ、こまったねぇ、と一生懸命言ってくれるのが可愛かったのです。 「困ったなあ」 「こまったねぇ…」 「困ったなあ」 「こまったねぇ….」 そんな会話を楽しんでいたら、突然不動が言いました。 「あっ!いいことおもいついた!」 何かと尋ねると、不動は晴れやかな笑顔で、 わたしが小さくなって、不動と一緒に幼稚園に入園すればいいと、提案してくれたのです。 「お母さんが?」 「うんっ!」 「幼稚園のスモック着て?」 「うんっ!」 不動の嬉しそうな顔。 お母さんが幼稚園に入るの?とまた尋ねると、不動は元気いっぱいに答えました。 「うんっ!ふうちゃんが、ちゃあんとつれていってあげるから!」 その時のことを、わたしは日記にこう書いています。 🍀傾きかかった古い家の、散らかった狭い部屋の中。 ブロック遊びの手を止めて、そう言ったふうちゃんの、とびっきりの笑顔! 幸せは ここにある。🍀 …… そして、今、 高校生になった不動の、空になったお弁当箱を洗いながら、やっぱりわたしは思うのです。 幸せは ここにある 💕

第11回「心地よい場所」

By | 2017-07-25T08:18:35+00:00 7月 25th, 2017|Categories: ブログ, 岸信子|

心地よい場所ってどんなところ? と 息子に尋ねてみたら、彼は「トイレ!」と即答しました。   そうじゃなくてさ、どんなとこだったら その場所を心地よく感じられるかとか、 どんなところだったら そこに気持ちよくいられるか、だよ、と言うと、 にやっと笑って「じゃ、”お母さんがいるところ” 的な?」と言い直します。   え? そ、そんな、…ゴマすらなくてもいいですよ…. 苦笑しているわたしに、少し考えて息子は答えました。 「う~ん。自分が自分でいられるところ、かな」   なるほど。 それでは、と、夫も含めた子どもたちみんなに、家族のラインで問いかけてみました。   ”あなたにとって、心地よい場所とは どんなところですか?”   寄せられた答は、次のようなものでした。   ⚫︎自分の居場所があるところ ⚫︎強制されないところ ⚫︎怒ってる人がいなくて みんな笑ってるところ ⚫︎安心できるところ ⚫︎認められるところ ⚫︎愛があるところ ⚫︎否定されないところ ⚫︎役に立ってると感じられるところ ⚫︎責められないところ ⚫︎もっといい自分になろうと思えるところ ⚫︎自然体でいられるところ   なるほどね。   そういう場所にしたいな。 セミナリー※のクラスも、 家庭の中も。   ※ セミナリーとは、14歳から18歳までの青少年が集まって 聖典の勉強をする会。 通常、学校始業前の早朝に行われます。 わたしは毎日4人のクラスを教えています。    

第10回「健康は試練」

By | 2017-07-27T10:29:28+00:00 7月 20th, 2017|Categories: ブログ, 岸信子|

クリスチャンになって驚いたことのひとつは、「試練」についての概念でした。 当時学生だったわたしが「試練」という言葉からイメージしていたのは、困難や苦労。 だから、「あなたの試練は何ですか?」と尋ねられた時、わたしは「ありません」と答えました。 「わたしは健康ですし、学生なので時間もあります。だから、わたしには、いま 試練はありません」と。 病気で辛い日々を送っているとか、親の介護で時間がないとか、貧困で苦しんでいるとか… そういった苦難こそが試練で、そんな経験のないわたしは、試練とは無縁だと思ったからです。   教会で教えておられた女性がその時 笑顔で言われた言葉を、わたしは今でも覚えています。 「では、あなたの試練は、健康と時間ですね」   えっ? 健康と時間がわたしの試練?? そんなふうに考えたことは一度もなかったので、わたしは本当に驚きました。 彼女は、にっこり笑って言いました。 「神様は、あなたが、その健康な体と時間を使って どんな良いことをするかを試しておられます」   教会で言う試練とは、苦しく辛いことだけを指しているのではなく、 「試し」を意味しているんだな、と理解することができました。   お金がないのも試練、あるのも試練。 仕事がないのも試練。あるのも試練。 病気も試練。健康も試練。 忙しいのも試練。ヒマなのも試練。   大切なのは、その状況のの中でどれだけ頑張れるか、 置かれたその環境の中でどれだけベストを尽くせるか。 神様はそれを試していらっしゃるのだと。   幸いわたしは、今も健康です。 だから、自分に言いきかせます。 「健康はわたしの試練」と。   学生時代と違って、大家族の母親となった今のわたしには、時間の余裕がなくなりました。 子どもたちはずいぶん大きくなったので、子育て真っ最中の頃のあのバタバタはなくなってきたものの、 今度は親や孫たちの世話が加わって、また違ったバタバタがあります。 そのバタバタとどう向き合い、この元気な体を使って いかに良い選択をし、 良い働きをし、かつ 楽しめるか、 よく考えます。   …と、 こんなふうに物事を捉えることができることが嬉しいです。 人生に目標があり、日々の経験に意味を見出すことができるのは幸せなことです。   もし、イエス・キリストの教えを知らなかったら、わたしは、毎日をどう生きたらいいか わからなかったろうな…と、 つくづく思います。   さて、 明日は朝から母と ちよっと遠出。健康な体の出番です。 安全第一!有能なドライバーに徹しますよ!(^ν^)

第9回「工夫」

By | 2017-07-10T16:17:54+00:00 7月 10th, 2017|Categories: ブログ, 岸信子|Tags: |

随分前に見たテレビドラマの中で、戦時中に使われていた標語が出てきました。   *欲しがりません 勝つまでは *贅沢は敵だ *進め 一億 火の玉だ   ….などなど、国民を戦争に協力させ、戦意高揚を目的に考えられたものです。   白いご飯に梅干しだけを乗せたものを「日の丸弁当」と呼んで推奨したり、 女性にパーマをかけることを禁じ、 おしゃれせずに もんぺを着用することを推奨したりしたのも この時代だそうです。   そんな背景を知ると、辛い標語ばかりに思えますが、その中で、好きになった標語がありました。   「足らぬ足らぬは 工夫が足らぬ」というものです。   本来は、物資不足であっても工夫せよ!という厳しい標語なのでしょうけれど、 当時の女性たちが この標語のポスターに落書きする場面が、そのドラマの中でありました。   「工夫が足らぬ」の最初の文字「工」を消して、 「足らぬ足らぬは 夫が足らぬ」に こっそり書き換えたのです。   元気な男たちは皆 戦争に駆り出され、 働き手がいなくて困っている女たちには、足りなくても工夫せよ!との命令が下る。 そんな重苦しい時代の中、標語に落書きして、 「足りないのは工夫じゃなくて、夫だよ!」 「そうだ、そうだよ!夫だよ!」と笑っている たくましい女性たちの姿が、とても印象的でした。   辛さをユーモアに変えて笑い飛ばすこの女性たちこそ、 困難を乗り越える工夫をしている人たちかもしれません。   その時見た場面とその標語が心に残って、以来、困った時に よく浮かんでくるようになりました。   「足らぬ足らぬは 工夫が足らぬ」と。   経済的にピンチな時、子育てがうまくいかない時、 教会の責任が大変な時、思うように物事が進まない時、 どうすればいいかな… う~ん   工夫、工夫、工夫 ……   [...]

第8回 機嫌のいいマルタ

By | 2017-07-10T16:15:04+00:00 6月 28th, 2017|Categories: ブログ, 家族, 岸信子|

バイトから帰るなり「行って来まーす」と慌ただしく出て行く三女・種恵(しゅえ)。 毎週金曜の夜は、インスティテュート(教会の若者たちの福音勉強会)があるのです。   「行ってらっしゃい!」と見送りながら、内心、 今日はインステをお休みして手伝って欲しかったなぁ…と、思いつつ、 新約聖書のマルタとマリヤの話を思い出しました。   イエス様を接待するため忙しく働いていた姉のマルタが、 イエス様の足元に座ってお話に聞き入っている妹マリヤのことで、イエス様に訴えます。   (以下、新約聖書ルカによる福音書10章40節から42節を引用) 40 ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、 イエスのところにきて言った、 「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。 わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。 41 主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って 思いわずらっている。 42 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。 マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、 彼女から取り去ってはならないものである」   マリヤのように良い方を選んだ三女からも、それは取り去ってはならないものなのです。 そうなのです。 わかっているのです。 でも、どうしましょ… お客様があるというのに、まだ料理ができていないのです… 手が足りないのです… だから、種恵の背中に向って、思わずつぶやいてしまったのです。 「あーあ、マリヤは行っちゃった…」と。   そのとき、わたしの気持ちを察したのか、遊びに来ていた長女の麗花(れいか)が 明るい笑顔で言いました。 「あとは、マルタにお任せ!さあ、作ろ!」   その瞬間、 本当にハッとしました。   そうか!マルタはこうでなくっちゃ!と。   お話を聞くことは、もちろんとても大切だけれど、食事の支度も大切です。 誰かがしなければならないことです。 マルタはイエス様をもてなそうと一生懸命でした。 そして、準備が忙しくて心を取り乱し、思いわずらって、不満を口にしました。 どうしてわたしばっかり、という気持ちになったのだと思います。   その気持ちはよくわかります。   そんなマルタを、イエス様は叱責されたわけではありません。 イエス様がマルタに優しく教えられたのは、大切なものを選んだマリヤから それを取り去ってはいけない、ということでした。   神様のことを学びたくて、バイトから帰るとすぐに教会へ向かった三女。 三女が気持ちよく勉強できるように、「あとはマルタにお任せ!」と笑顔で言った長女。 [...]

第7回「数えてみました」

By | 2017-07-10T16:14:51+00:00 6月 12th, 2017|Categories: ブログ, 家族, 岸信子|

86歳の誕生日を迎える母の良いところを、86個数えてみました。 1 優しい・2 思いやりがある・3 おしゃれ・4 時間を守る・5 気遣いできる・6 常識がある・7 いつも身綺麗にしている・8 友達を大切にする・9 社交的・10 笑顔が素敵 11 涙もろい・12 明るい・13 好奇心がある・14 約束を守る・15 義理人情に厚い・16 同情心がある・17 積極的・18 花が好き・19 礼儀正しい・20 おちゃめ 21 家族思い・22 先祖を尊ぶ・23 伝統を重んじる・24 友達が多い・25 買い物好き・26 思慮深い・27 ユーモアのセンスがある・28 言葉遣いがいい・29 分け隔てがない・30 子どもに優しい 31 孫に優しい・32 自分は後回し・33 健康に気をつける・34 腹八分・35 暴飲暴食しない・36 がんばりや・37 忍耐強い・38 愚痴を言わない・39 几帳面・40 悪口を言わない 41 美人・42 用心深い・43 気配りできる・44 親切・45 近所付き合いがいい・46 気持いい挨拶をする・47 ニュースをよく見る・48 備えを怠らない・49 時事問題に詳しい・50 香水が好き [...]

第6回「おかげ、おかげて思わなんよ」

By | 2017-07-10T16:14:40+00:00 6月 1st, 2017|Categories: ブログ, 家族, 岸信子|

   わかってるよ、と言いたくなるくらい 母から繰り返し言われてきたことの一つに 「おかげ、おかげて思わなんよ」という言葉があります。 熊本弁で「おかげさま、おかげさまと思わなければいけないよ」という意味です。   母の言葉はこうです。   「どがんこつでん当たり前て思うちゃならん(どんなことでも 当たり前と思ってはいけない)。 世の中に当たり前んこつぁ  なぁんもなかっだけん(世の中に当たり前のことなんか何もないんだから)。 なんでん、ご先祖さん  人さんのおかげだけんね(なんでも、ご先祖さま 人さまのおかげだからね)。 どがんときでん、そっば忘れちゃならんよ(どんなときでも、それを忘れてはいけないよ)。 よかこつのあったっちゃ、けしてのぼせちゃならん(いいことがあっても、決して高慢になってはいけない)。 おかげ、おかげて、頭ば下げて暮らすなら、みんなから可愛がってもらわるっけんね(おかげさま、おかげさま、と頭を下げて暮らすなら、みんなから可愛がってもらえるからね)。 よかね?信子ちゃん、おかげ、おかげば、忘るっとでけんよ(いい?信子ちゃん、おかげさま、おかげさま、の気持ちを忘れてはいけないよ)」 …   わたしは62歳で、10人の子どもたちの母親で、6人の孫のおばあちゃんですが、母の前では今でも長女の「信子ちゃん」です。   忘れんよ、お母さん。 ちゃんとしっかり、覚えとくけん!(覚えておくから!)  

第5回「英治さん」

By | 2017-06-12T11:16:08+00:00 5月 29th, 2017|Categories: ブログ, 岸信子|

第5回「英治さん」   結婚前に決めていたことがあります。 ・夫を「英治さん」と名前で呼ぶこと。 ・同じベッドで一緒に寝ること。 ・ハグを欠かさないこと。   結婚して33年。 これまでずっと続けてきたのですが、最近になって、これ、いい目標だったかもしれないな♪と思ったりしています。   呼び方次第で、その後に続く言葉が変わってくるような気がするのです。   ちょっと極端かもしれませんが、例えば、夫に 何か書類を書いてもらいたいとして、 呼び捨ての「英治」だったら、後に続く言葉は「英治、書けよ」。 これが「英治くん」だったら、「英治くん、書いて」。 「英治さん」だと、「英治さん、書いてくださる?」になる。 もし「お父さん」と呼んでいたら、”子どもの父親” としてしか見ていないので、「ねぇ、お父さんたら、書いてちょうだいよ」になる。 ごく個人的な わたしの感覚なのですけれど、そんなイメージです。(๑>◡<๑)   「英治さん」と呼ぶことで、夫を一人の男性として意識することができ、ちょっぴり尊敬も込めつつ、甘えることもできたのかも(笑)。   というわけで、今後もわたしは、夫を「お父さん」とも「じいじ」とも呼びません。 ずっとずっと「英治さん♡」と、愛情込めて呼ぶのです。   だから、英治さん、 週末、デートしませんか? 「美女と野獣」もうやってるよ。