Kishi Nobuko

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岸信子

About 岸信子

七男三女、12人家族のお母さん。10人の子供たちを育てた経験から子育てや家族に関する執筆や講演活動を行なう。

第11回「心地よい場所」

By | 2017-07-25T08:18:35+00:00 7月 25th, 2017|Categories: ブログ, 岸信子|

心地よい場所ってどんなところ? と 息子に尋ねてみたら、彼は「トイレ!」と即答しました。   そうじゃなくてさ、どんなとこだったら その場所を心地よく感じられるかとか、 どんなところだったら そこに気持ちよくいられるか、だよ、と言うと、 にやっと笑って「じゃ、”お母さんがいるところ” 的な?」と言い直します。   え? そ、そんな、…ゴマすらなくてもいいですよ…. 苦笑しているわたしに、少し考えて息子は答えました。 「う~ん。自分が自分でいられるところ、かな」   なるほど。 それでは、と、夫も含めた子どもたちみんなに、家族のラインで問いかけてみました。   ”あなたにとって、心地よい場所とは どんなところですか?”   寄せられた答は、次のようなものでした。   ⚫︎自分の居場所があるところ ⚫︎強制されないところ ⚫︎怒ってる人がいなくて みんな笑ってるところ ⚫︎安心できるところ ⚫︎認められるところ ⚫︎愛があるところ ⚫︎否定されないところ ⚫︎役に立ってると感じられるところ ⚫︎責められないところ ⚫︎もっといい自分になろうと思えるところ ⚫︎自然体でいられるところ   なるほどね。   そういう場所にしたいな。 セミナリー※のクラスも、 家庭の中も。   ※ セミナリーとは、14歳から18歳までの青少年が集まって 聖典の勉強をする会。 通常、学校始業前の早朝に行われます。 わたしは毎日4人のクラスを教えています。    

第10回「健康は試練」

By | 2017-07-20T13:52:48+00:00 7月 20th, 2017|Categories: ブログ, 岸信子|

教会に入って驚いたことのひとつは、「試練」についての概念でした。 当時学生だったわたしが「試練」という言葉からイメージしていたのは、困難や苦労。 だから、「あなたの試練は何ですか?」と尋ねられた時、わたしは「ありません」と答えました。 「わたしは健康ですし、学生なので時間もあります。だから、わたしには、いま 試練はありません」と。 病気で辛い日々を送っているとか、親の介護で時間がないとか、貧困で苦しんでいるとか… そういった苦難こそが試練で、そんな経験のないわたしは、試練とは無縁だと思ったからです。   教会で教えておられた女性がその時 笑顔で言われた言葉を、わたしは今でも覚えています。 「では、あなたの試練は、健康と時間ですね」   えっ? 健康と時間がわたしの試練?? そんなふうに考えたことは一度もなかったので、わたしは本当に驚きました。 彼女は、にっこり笑って言いました。 「神様は、あなたが、その健康な体と時間を使って どんな良いことをするかを試しておられます」   教会で言う試練とは、苦しく辛いことだけを指しているのではなく、 「試し」を意味しているんだな、と理解することができました。   お金がないのも試練、あるのも試練。 仕事がないのも試練。あるのも試練。 病気も試練。健康も試練。 忙しいのも試練。ヒマなのも試練。   大切なのは、その状況のの中でどれだけ頑張れるか、 置かれたその環境の中でどれだけベストを尽くせるか。 神様はそれを試していらっしゃるのだと。   幸いわたしは、今も健康です。 だから、自分に言いきかせます。 「健康はわたしの試練」と。   学生時代と違って、大家族の母親となった今のわたしには、時間の余裕がなくなりました。 子どもたちはずいぶん大きくなったので、子育て真っ最中の頃のあのバタバタはなくなってきたものの、 今度は親や孫たちの世話が加わって、また違ったバタバタがあります。 そのバタバタとどう向き合い、この元気な体を使って いかに良い選択をし、 良い働きをし、かつ 楽しめるか、 よく考えます。   …と、 こんなふうに物事を捉えることができることが嬉しいです。 人生に目標があり、日々の経験に意味を見出すことができるのは幸せなことです。   もし、福音を知らなかったら、わたしは、毎日をどう生きたらいいか わからなかったろうな…と、 つくづく思います。   さて、 明日は朝から母と ちよっと遠出。健康な体の出番です。 安全第一!有能なドライバーに徹しますよ!(^ν^)

第9回「工夫」

By | 2017-07-10T16:17:54+00:00 7月 10th, 2017|Categories: ブログ, 岸信子|Tags: |

随分前に見たテレビドラマの中で、戦時中に使われていた標語が出てきました。   *欲しがりません 勝つまでは *贅沢は敵だ *進め 一億 火の玉だ   ….などなど、国民を戦争に協力させ、戦意高揚を目的に考えられたものです。   白いご飯に梅干しだけを乗せたものを「日の丸弁当」と呼んで推奨したり、 女性にパーマをかけることを禁じ、 おしゃれせずに もんぺを着用することを推奨したりしたのも この時代だそうです。   そんな背景を知ると、辛い標語ばかりに思えますが、その中で、好きになった標語がありました。   「足らぬ足らぬは 工夫が足らぬ」というものです。   本来は、物資不足であっても工夫せよ!という厳しい標語なのでしょうけれど、 当時の女性たちが この標語のポスターに落書きする場面が、そのドラマの中でありました。   「工夫が足らぬ」の最初の文字「工」を消して、 「足らぬ足らぬは 夫が足らぬ」に こっそり書き換えたのです。   元気な男たちは皆 戦争に駆り出され、 働き手がいなくて困っている女たちには、足りなくても工夫せよ!との命令が下る。 そんな重苦しい時代の中、標語に落書きして、 「足りないのは工夫じゃなくて、夫だよ!」 「そうだ、そうだよ!夫だよ!」と笑っている たくましい女性たちの姿が、とても印象的でした。   辛さをユーモアに変えて笑い飛ばすこの女性たちこそ、 困難を乗り越える工夫をしている人たちかもしれません。   その時見た場面とその標語が心に残って、以来、困った時に よく浮かんでくるようになりました。   「足らぬ足らぬは 工夫が足らぬ」と。   経済的にピンチな時、子育てがうまくいかない時、 教会の責任が大変な時、思うように物事が進まない時、 どうすればいいかな… う~ん   工夫、工夫、工夫 ……   [...]

第8回 機嫌のいいマルタ

By | 2017-07-10T16:15:04+00:00 6月 28th, 2017|Categories: ブログ, 家族, 岸信子|

バイトから帰るなり「行って来まーす」と慌ただしく出て行く三女・種恵(しゅえ)。 毎週金曜の夜は、インスティテュート(教会の若者たちの福音勉強会)があるのです。   「行ってらっしゃい!」と見送りながら、内心、 今日はインステをお休みして手伝って欲しかったなぁ…と、思いつつ、 新約聖書のマルタとマリヤの話を思い出しました。   イエス様を接待するため忙しく働いていた姉のマルタが、 イエス様の足元に座ってお話に聞き入っている妹マリヤのことで、イエス様に訴えます。   (以下、新約聖書ルカによる福音書10章40節から42節を引用) 40 ところが、マルタは接待のことで忙がしくて心をとりみだし、 イエスのところにきて言った、 「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。 わたしの手伝いをするように妹におっしゃってください」。 41 主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くのことに心を配って 思いわずらっている。 42 しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。 マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、 彼女から取り去ってはならないものである」   マリヤのように良い方を選んだ三女からも、それは取り去ってはならないものなのです。 そうなのです。 わかっているのです。 でも、どうしましょ… お客様があるというのに、まだ料理ができていないのです… 手が足りないのです… だから、種恵の背中に向って、思わずつぶやいてしまったのです。 「あーあ、マリヤは行っちゃった…」と。   そのとき、わたしの気持ちを察したのか、遊びに来ていた長女の麗花(れいか)が 明るい笑顔で言いました。 「あとは、マルタにお任せ!さあ、作ろ!」   その瞬間、 本当にハッとしました。   そうか!マルタはこうでなくっちゃ!と。   お話を聞くことは、もちろんとても大切だけれど、食事の支度も大切です。 誰かがしなければならないことです。 マルタはイエス様をもてなそうと一生懸命でした。 そして、準備が忙しくて心を取り乱し、思いわずらって、不満を口にしました。 どうしてわたしばっかり、という気持ちになったのだと思います。   その気持ちはよくわかります。   そんなマルタを、イエス様は叱責されたわけではありません。 イエス様がマルタに優しく教えられたのは、大切なものを選んだマリヤから それを取り去ってはいけない、ということでした。   神様のことを学びたくて、バイトから帰るとすぐに教会へ向かった三女。 三女が気持ちよく勉強できるように、「あとはマルタにお任せ!」と笑顔で言った長女。 [...]

第7回「数えてみました」

By | 2017-07-10T16:14:51+00:00 6月 12th, 2017|Categories: ブログ, 家族, 岸信子|

86歳の誕生日を迎える母の良いところを、86個数えてみました。 1 優しい・2 思いやりがある・3 おしゃれ・4 時間を守る・5 気遣いできる・6 常識がある・7 いつも身綺麗にしている・8 友達を大切にする・9 社交的・10 笑顔が素敵 11 涙もろい・12 明るい・13 好奇心がある・14 約束を守る・15 義理人情に厚い・16 同情心がある・17 積極的・18 花が好き・19 礼儀正しい・20 おちゃめ 21 家族思い・22 先祖を尊ぶ・23 伝統を重んじる・24 友達が多い・25 買い物好き・26 思慮深い・27 ユーモアのセンスがある・28 言葉遣いがいい・29 分け隔てがない・30 子どもに優しい 31 孫に優しい・32 自分は後回し・33 健康に気をつける・34 腹八分・35 暴飲暴食しない・36 がんばりや・37 忍耐強い・38 愚痴を言わない・39 几帳面・40 悪口を言わない 41 美人・42 用心深い・43 気配りできる・44 親切・45 近所付き合いがいい・46 気持いい挨拶をする・47 ニュースをよく見る・48 備えを怠らない・49 時事問題に詳しい・50 香水が好き [...]

第6回「おかげ、おかげて思わなんよ」

By | 2017-07-10T16:14:40+00:00 6月 1st, 2017|Categories: ブログ, 家族, 岸信子|

   わかってるよ、と言いたくなるくらい 母から繰り返し言われてきたことの一つに 「おかげ、おかげて思わなんよ」という言葉があります。 熊本弁で「おかげさま、おかげさまと思わなければいけないよ」という意味です。   母の言葉はこうです。   「どがんこつでん当たり前て思うちゃならん(どんなことでも 当たり前と思ってはいけない)。 世の中に当たり前んこつぁ  なぁんもなかっだけん(世の中に当たり前のことなんか何もないんだから)。 なんでん、ご先祖さん  人さんのおかげだけんね(なんでも、ご先祖さま 人さまのおかげだからね)。 どがんときでん、そっば忘れちゃならんよ(どんなときでも、それを忘れてはいけないよ)。 よかこつのあったっちゃ、けしてのぼせちゃならん(いいことがあっても、決して高慢になってはいけない)。 おかげ、おかげて、頭ば下げて暮らすなら、みんなから可愛がってもらわるっけんね(おかげさま、おかげさま、と頭を下げて暮らすなら、みんなから可愛がってもらえるからね)。 よかね?信子ちゃん、おかげ、おかげば、忘るっとでけんよ(いい?信子ちゃん、おかげさま、おかげさま、の気持ちを忘れてはいけないよ)」 …   わたしは62歳で、10人の子どもたちの母親で、6人の孫のおばあちゃんですが、母の前では今でも長女の「信子ちゃん」です。   忘れんよ、お母さん。 ちゃんとしっかり、覚えとくけん!(覚えておくから!)  

第5回「英治さん」

By | 2017-06-12T11:16:08+00:00 5月 29th, 2017|Categories: ブログ, 岸信子|

第5回「英治さん」   結婚前に決めていたことがあります。 ・夫を「英治さん」と名前で呼ぶこと。 ・同じベッドで一緒に寝ること。 ・ハグを欠かさないこと。   結婚して33年。 これまでずっと続けてきたのですが、最近になって、これ、いい目標だったかもしれないな♪と思ったりしています。   呼び方次第で、その後に続く言葉が変わってくるような気がするのです。   ちょっと極端かもしれませんが、例えば、夫に 何か書類を書いてもらいたいとして、 呼び捨ての「英治」だったら、後に続く言葉は「英治、書けよ」。 これが「英治くん」だったら、「英治くん、書いて」。 「英治さん」だと、「英治さん、書いてくださる?」になる。 もし「お父さん」と呼んでいたら、”子どもの父親” としてしか見ていないので、「ねぇ、お父さんたら、書いてちょうだいよ」になる。 ごく個人的な わたしの感覚なのですけれど、そんなイメージです。(๑>◡<๑)   「英治さん」と呼ぶことで、夫を一人の男性として意識することができ、ちょっぴり尊敬も込めつつ、甘えることもできたのかも(笑)。   というわけで、今後もわたしは、夫を「お父さん」とも「じいじ」とも呼びません。 ずっとずっと「英治さん♡」と、愛情込めて呼ぶのです。   だから、英治さん、 週末、デートしませんか? 「美女と野獣」もうやってるよ。

第4回「うまっ!」

By | 2017-06-12T11:16:30+00:00 5月 2nd, 2017|Categories: 子育て, 家族, 岸信子|

第4回「うまっ!」   我が家の六男・一心、17歳。高校2年生。   学校から帰ると「ただいま」ではなく「腹減ったー!」と言いながら靴を脱ぎ、制服のまま台所にやって来ます。 フライパンの中を覗いて「うまそーっ!」とまず一言。 味見味見!と催促するので、小皿に乗せて手渡すと、すぐ口に入れて「うまっ!」と満面の笑みです。 食事の際には、二口三口食べるごとに「うまっ!」を連発しながら お代わり2回。 空っぽになったお皿に箸を置いて、締めの言葉は「うまかったー!」。   いつもそう。   そんな一心を見ていると、ゲームばっかりすることも、茶碗洗いをサボったことも、セミナリーの授業中に寝ていたことも、全部許せちゃうのです。   一心の「うまっ!」は、まるで魔法の言葉のよう。 疲れは取れるし、やる気は出るし、なんだか、自分が、料理上手なお母さんみたいに思えて来るから不思議です。   ほんとはね、 そんなに料理が上手ではないんです。 いつも美味しいご馳走が並んでいるわけでもないんです。手抜きも多いし、あり合わせばかりで申し訳ないなぁと思う日だって少なくはないのです。   それでも、一心が「うまっ!」と笑うと、これでもいいのかな、と思えてきます。   一心の惜しみない賞賛の言葉は、わたしを受け入れ、強め、高め、励まし、いつも元気にしてくれます。   わたしはどう?   子どもたちや夫に そんな言葉をかけているかしら?   言わなくてもわかることは、言われたら嬉しいことばかりです。 わたしも、もっともっと口に出して褒めよう。感謝しよう。ねぎらおう。     「うまっ!」 今日も食卓からは、一心の明るい声が聞こえてきます。(^ν^)💖

第3回「いろんな見方で」

By | 2017-06-12T11:17:28+00:00 4月 26th, 2017|Categories: 子育て, 家族, 岸信子|

第3回「いろんな見方で」 「きみは、どうして医者になりたいんだい?」 「…人の役に立ちたいからです」 「そうか。いい目標だね。でも、人の役に立てるのは医者だけかい?」 「…?」 「医者が使う道具を作る人、医者が着る白衣を作る人、…人を助ける医者を助ける人たちも、人の役に立っているんじゃないのかな?」 「… …」 「広い視野で見てごらん」 これは、友達の息子さんと知り合いとのやりとりです。物事は表面だけでなく、一方向からだけでもなく、横から、後ろから、上から、下から、斜めから、いろんな方向から見なくてはいけないんだよ、とあらためて教わった気がします。 物事にはいろんな側面があり、物事には理由があります。わたしの人生について考えてみても、一見不幸に思えることが、実は幸せの入口だった、ということがこれまでに何度もありましたし、後になってその経験の意味が理解できたことも少なくありません。 進学、就職、…様々な岐路に立つこの季節。失敗して落ち込んでいる人もいるでしょう。でも、失敗と思えたことが、実は新しい世界へいざなう扉なのかもしれません。 うちの子どもも含めた若い人たちに、心からのエールと共にメッセージを送りたいと思います。 「ファイト!」 もしも、目標に向かって一生懸命頑張ったのに、自分の望み通りにならなかったとしても、その努力には寸分の無駄もなく、その経験は、きっと必ず、誰かの何かの役に立つよ!と。

第2回「証(あかし)って なあに?」

By | 2017-06-12T11:18:19+00:00 4月 13th, 2017|Categories: 子育て, 家族, 岸信子|

第2回 「証(あかし)って なあに?」 長男がまだ小さかった頃のこと。 「おかあさん、あかしって、なあに?」と尋ねてきたことがありました。 証(あかし)。 教会の中でよく使う言葉ですが、どうやったらこの小さい息子にもわかるように説明できるかな? う〜ん … 少し考えて、その時わたしは こんなふうに説明しました。 「ひでくんは、神様は生きています、とか、教会は真実です、とか、預言者はいます、とか聞いたことあるでしょ?」 「うん」 「これまで、何度も何度も聞いたことあるから、ふうん、そうなんだ、と思ってるよね」 「うん」 「そのことをね、心で、そうか!なるほど!そうなんだ!!と感じること。それが証(あかし)だよ」 「心に感じるの?」 「そう。たとえば、ひでくんが、ふうん、神様っているんだ、と思ってたことが、ほんとだ!!神様っているんだ!!って、心で感じたら、それは証(あかし)なの」 「ふうん」 「ひでくんは、どうやったら証(あかし)が持てるかわかる?」 「わかんない」 「じゃあね、もしもピアノが弾けるようになりたいと思ったらどうする?」 「れんしゅうする」 「何を?」 「ピアノを」 「そうよね、ピアノを弾けるようになりたいのにサッカーを練習してもピアノは弾けないよね」 「うん」 「じゃ、英語を話せるようになりたいと思って、一生懸命 泳ぐ練習したら、英語が話せるようになるかな?」 「ならない」 「どうしたらいい?」 「えいごのべんきょうをすればいい」 「だよね。もしも英語が話せるようになりたかったら英語の勉強。野球が上手になりたかったら野球の練習、自転車に乗れるようになりたかったら自転車の練習、リコーダーが吹けるようになりたかったらリコーダーの練習….と、目標に合ったことを頑張らないといけないよね」 「うん」 「神様のことも同じだよ。神様のことをわかるようになるためには神様のことを勉強しないといけないの」 「うん」 「神様のことを頑張ったら、神様のことがわかるようになるよ。教会に行ったり、お祈りしたり、聖典を読んだり。戒めを守ったり…。神様のことを頑張ってたら、いつか、そうか!ほんとだ!!って、心にわかることがあるよ」 「… わかるよ」 「え?ひでくん、わかるの?」 「うん。ボールがみつからなかったとき、おいのりしたらでてきたから、かみさまはいるってわかった」 「すごい!それは証(あかし)だよ!すごい!すごい!ひでくんはもう、立派な証(あかし)を持ってるんだよ!」 「そうか」 長男に、神様はどこにいると思う?と尋ねてみたら、彼は「ここ」と、自分の顔のすぐ前を指しました。 てっきり、空の上と答えるだろうと思っていたわたしは、とても驚きました。 小さな子どもたちは、神様を、遠い遠い存在ではなく、自分のすぐそばに感じているんだなぁ…。 子どもたちは、自分が知っている ということを知らないんだ。 大人は子どもたちに、あなたは知ってるんだよ、と知らせてあげればいいのかな… そんなことを感じさせられた瞬間でもありました。 振り返れば、 小さい子どもたちと過ごす毎日は、発見と気づきの連続でした。 子どもたちを通して、物事の本質や本当に大切なことを沢山学んできたようにも思います。 …. 「証ってね。ほんとにそうだ!と、心に強く感じることよ。神様のことを知りたいなら、神様のことを頑張らないといけないの」 … [...]