
第88回「好きな言葉」
前回は「井の中の蛙」ということわざについて書きましたが、今回はわたしの心の糧となっている 好きな言葉を、聖典の中からいくつか取り上げたいと思います。
最初に、新約聖書エペソ人への手紙2章10節の聖句。
🍀「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。」
若い頃、自分の欠点や弱点に落ち込んで、わたしって本当にダメだなあ、と自分の価値を見失いそうになることがありました。そんなとき 、わたしを奮い立たせてくれたのが “わたしたちは神様の作品で 良い行いをするように造られた” という言葉です。
この聖句はわたしを 低いところから引き上げてくれました。今でもそうです。この聖句を読むと自分が価値ある存在だと思えて嬉しくなります。
コロサイ人への手紙4章6節の聖句もまた、わたしが独身時代から大切にしているもののひとつです。
🍀「いつも、塩で味つけられた、やさしい言葉を使いなさい。そうすれば、ひとりびとりに対してどう答えるべきか、わかるであろう。」
初めてこの聖句に触れた時、言葉も味付けするんだ…と、とても新鮮に感じたことを覚えています。
“言いたいことはちゃんと伝える。でもその前に優しく味つけしてから” と、心に刻みました。
以来、結婚してからもずっと、この聖句は、わたしの指針になっています。
いろんな食材の中には、栄養はあっても そのままでは苦いもの、食べにくいものがあります。そんなときは、アク抜きしたり、湯がいたり、塩で揉んだり、水にさらしたりしてから 美味しく味付けしますが、優しい言葉を発するためにもそんな工夫や努力が必要なんじゃないかな… と思います。
旧約聖書のイザヤ書55章8節と9節はこんな聖句です。
🍀わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。
天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
“神様の思いはわたしの思いと違う”。 これは、わたしの信仰のベースです。
いろんなことがあります。なんで?と思うようなこともあります。でも、”神様とわたしの思いは違う。神様の思いはわたしの思いよりも高い” と知っていると、平安な気持ちでいることができます。 “このことにはきっと何か訳があるのだろう” と、受け止めることができるからです。わたしの思いよりも、神様の思いは遥かに遥かに高いのですから。
モルモン書からも、ひとつ。
第2ニーファイ 2章25節にはこうあります。
🍀「人が存在するのは喜びを得るためである。」
そうなんだ、わたしたちが生きているのは喜びを得るためなんだ!
だからわたしは、小さな幸せを キャッチするため、今日もアンテナを広げています。
♡╰(*´︶`*)╯ ♡
… と、ここまで好きな言葉をいくつかあげてみましたが、やっぱり〆は、テサロニケで。
🍀 いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのことについて感謝しなさい。
(Ⅰテサロニケ5:16〜18)
これがわたしの一番好きな聖句であり目標です。( ◠‿◠ )💕
元号も新しく『令和』になったことだし、こんな生き方目指して、気持ちを新たに頑張るぞっ!
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