信子母さんのエッセイ第35回「迷惑をかけながら」

「人に迷惑をかけないように!」
小さい頃はもちろん、中高生の頃も、母にずっとそう言われながら わたしは大人になりました。

でも、親になったわたしは、自分の子どもたちに「人に迷惑をかけてはいけません!」とあまり強くは言いませんでした。

自分で出来ることは、もちろん自分でやってほしいです。でも、出来ないこともあるから、そのときには、人に迷惑をかけてしまうことになるかもしれないけれど、素直に助けを求めてほしい。人の親切を素直に受けてほしい。そして、いつかきっと自分も、喜んで人を助けられる人になってほしい。そう願っているからです。

わたしがそんな考えに至ったのは、自身の体験を通してのことでした。
子どもたちがまだ小さかった頃、子育てで大変なことがあっても、わたしは、人に迷惑をかけたくない、人に頼りたくない!といつも思っていました。
でも、自分の限界を知り、助けを求め、”人に迷惑をかける”  ”奉仕を受ける”ということを体験したとき、そこから本当に沢山のことを学びました。

一昨年書いた本の中にそのことを記しているので、長いですが、一部転記させてください。

 

*****

人に迷惑をかけたくないと思っている人は多いです。自分が誰かのために働くのはいいけれど、自分が誰かに手伝ってもらうのは心苦しく申し訳ない、人に迷惑はかけたくない、と。

でも、それは違うんじゃないかと思うのです。人に助けてもらうという経験は大切だと思います。自分が助けてもらって初めて、助けてもらう側の人の気持ちが分かります。そして、助けてもらった経験はきっと、次に誰かを助けるときの役に立ちます。

どんなふうに助けてもらったら嬉しいか?相手に惨めな思いを抱かせず、傷つけず、相手の尊厳を奪うことなく助けるにはどうしたらいいか?と、思いやることができますから。

月日が流れ、今度はわたしが誰かをお手伝いするという立場になり、わかったことがあります。それは、お手伝いする側には喜びがいっぱいあるということです。お手伝いできること自体が嬉しいし、お手伝いを通して学べることもあるし、さらに、お手伝いすることで自分の愛情が大きく育つ、ということも実感できました。誰かを手伝い助けるという奉仕の機会は、素晴らしい経験です。この機会をもらえて本当によかったと心から思えるのです。

… ん?

ということは、こんなに素晴らしい経験を人にも体験してもらうこと、つまり、誰かに奉仕の機会を提供することも、一つの愛なんじゃない?

「結構です」「大丈夫です」と、かたくなに助けを拒むのは、手伝おうとしてくれているその人から大きな喜びを奪ってしまうことにもなるんじゃない?誰かを助けるのも愛だけど、助けてもらうことも、きっと愛。

助けてもらうたびに高慢な心が砕かれ、謙遜になり、心に感謝があふれます。そして、誰かを手伝えるようになるたびに、喜びが本当に大きくなります。助けたり、助けられたり。人にはその両方の経験が同じくらいに大切なんじゃないでしょうか。( 『ぎゅうぎゅうの幸せ』より抜粋)

 

*****

 

わたしたちは完全ではありません。
まわりに迷惑をかけながら生きています。

でも、だからこそ、互いに赦し、赦され、助け、助けられ、愛し、愛され、共に成長していくことができるのだと、わたしはそう信じています。

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