
聖典の中に、警告したり、説教したり、叫んだりするために、塔の上に登った人たちの話が出てきます。
高い塔の上に立てば、注目を集め、一度に多くの人たちに聞いてもらうことができるからです。
以前、我が家の子どもたちがまだみんな小さかった頃、自分がとても無力に思えたことがありました。
テレビや新聞で報道されるイジメや自殺、虐待、様々なDV、残虐な事件… ものすごいスピードで世の中が変わっていきます。こんな世界で、わたしは子どもたちを守れるのかしら… 。
でも、わたしは塔の下にいます。遠くまで声は届かず、影響力もありません。世の中の流れを止める力などわたしにはないのです。
「家庭は小さな天国」という言葉は教会でよく耳にするものです。
当時のわたしもそう教わりました。
今自分がいる家庭、自分の家族にこそ愛を注ぎなさいと。
え?それだけ?それだけで大丈夫なの?子どもたちを守れるの?
….
そんなことでいいの?という不安な思いと、そんなことしかできないの?というもどかしさ。
でも、現実を見れば、塔の下にいる小さなわたしには、結局それしかできないのです。
「家庭を小さな天国に」
…
大好きよ!と声に出して言う。
抱きしめる。
愛してるよ!と声に出して言う。
抱きしめる。
抱きしめる。
ぎゅうっと 抱きしめる。
…
月日が流れ、今、息子娘たちが結婚してそれぞれの家庭を持ち、愛情豊かに子育てしている姿を見ると 感慨深いです。
塔の上に登らなくてもできることがあります。
塔の下の小さな家の中でも、できることはあります。
愛された子どもたちが愛ある家庭を築き、その子どもたちがまた愛ある家庭を築き、そのまた子どもたちが愛ある家庭を築く…
そんな家庭が増えていけば、世界は少し変わるかもしれません。
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