
わたしの世代だと、「探しものはなんですか?」と聞けば、すぐに浮かぶのは、
井上陽水さんの「夢の中へ」でしょうか?
最近の歌はなかなか覚えられませんが、
若い頃に歌っていた歌の歌詞は、今でもスラスラ出てきます。
探しものは何ですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中も 机の中も
探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか?
…
休む事も許されず
笑う事は止められて
はいつくばって はいつくばって
いったい何を探しているのか
…
と、続くこの歌、わたしもよく熱唱したものです。
♪♪♪ (^O^) ♪♪♪
…
探しもの。
わたしの 探しもの。
…
小学生だったわたしは、時々、死んだらどうなるんだろう?と考えました。
火葬されて体がなくなる。
こうやって考えているわたしの”思い”自体もなくなるの?
わたしは消えてしまうのかな。
消えたわたしはどこへ行くの?
中学生だったわたしは、しばしば、どうして勉強するんだろう?と考えました。
因数分解、三角関数、元素記号、歴史の年号、遠い外国の山脈の名前 … 何の役にたつんだろ?
高校生だったわたしは、折に触れて、何のために生きているんだろう?と、考えました。
どうして世の中は不平等?何が正しい?普遍的なものは何?…わからないことだらけです。
…
本が大好きだったので、結構読んだかと思いますが、本の中に答えはなく、
先生からも、親からも、友達からもそれは得られず、見つけられないままでした。
それが見つかったのは、短大1年生のとき。
キリストの教えを知ったときです。
『人はどこから来て、
何のためにここにいて、
死んだらどこへ行くのでしょう?』
宣教師から聞くその言葉は、わたしがずっと探していたもののように思えました。
わたしの命は、1955年の5月に突然始まったんじゃない。
この地上に生まれる前から、わたしは存在していた。
わたしはこの時代、この国、この家に、偶然生まれてきたんじゃない。
人生には目的があって、そのためにわたしはこの地上で生活してる。
わたしが経験するすべてのことには意味がある。
死は終わりではなく次のステージへの入り口。
死んだ後もわたしは存在し、わたしの命は続いていく。
家族は永遠。
そしてわたしは大切な、大切な、本当に大切な 価値ある存在。
…
そんな教えの数々に、心から感謝しています。
キリストの教えを通して、平安や希望、目標を持つことができ、
どこへ向かって進んだらいいのかがわかりました。
親になり、子どもたちを育てている今、
子どもたちの疑問に答えたり、答えの探し方を教えることができるのは、
幸せなことです。
……
探しものは何ですか?
見つけにくいものですか?
若かった頃のわたしのように、探しものをしている人がいたら、
小さい子でも若い子でも、お父さんでもお母さんでも、おじいちゃんでもおばあちゃんでも、
みんな ここにおいでよー!と、両手を大きく振りたい気持ちです。
探しもの、見つかるかもしれません(╹◡╹)♡
コメント
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真実の教会。結婚。子供。・・・探し物だったもの。そして、今は宝物になったもの。