暮らした国は6か国!ファンズワースさんに聞く

0歳から18歳まで暮らした国は6か国!ギャレット・ファンズワースさんに聞く

お父様のお仕事の関係で幼少から海外で暮らした経験のあるギャレット・ファンズワースさん。6つの国、7か所の都市に暮らし、様々な文化の中で過ごした経験は、現在モルモンの宣教師として奉仕活動するファンズワースさんにどのような影響を与えているのか、お話を伺ってみました。

 

まずは、ご家族について教えていただけますか。

はい。わたしは6人家族です。両親と姉が3人いて、わたしは末っ子であり、唯一の息子です。長女は結婚して男の子が一人います。2番目の姉が4月に結婚します。

今まで住んだことのある国を順を追って教えていただけますか。

1998年にメキシコのメキシコシティで生まれました。1歳の頃アルゼンチンのブエノスアイレスに引っ越し、そこで1年過ごしました。あまり覚えてないですけど(笑)。2歳から9歳まではアメリカのアーカンソー州で暮らし、その後、10歳の頃ですから小学校4年生で中国の深圳(しんせん)(Shenzhen)へ移住しました。そこに3年住んだ後、上海に引っ越し2年暮らしました。高校1年生と2年生はタイのバンコクで過ごして、高校の最後の年はペルーに移住し、リマで2年暮らしました。そこで高校を卒業し、モルモンの宣教師として奉仕するために来日しました。

すごいですね。ファンズワースさんはアメリカ人ですが、アメリカで過ごしている期間はわずかですね。

そうですね。ですけれども、家庭の中にはアメリカの文化がありました。食べ物もアメリカ風でしたし、学校はインターナショナルスクールに通っていましたので、そこでもアメリカ的な暮らしをしていました。

お父様はどんなお仕事をなさっていたのですか。

ウォールマートというアメリカの企業に勤めています。

ご家族はまだペルーにいらっしゃるのですか。

今はフロリダに住んでいます。

いろいろな国に住んでそれぞれの国の文化に触れたわけですが、良かったと思うことは何ですか。

たくさんの国に友人ができたことは良かったと思います。インターナショナルスクールにはアメリカ人だけではなく、わたしと同じような状況の様々な国の人が通っていました。親友は韓国人ですし。もちろん、中国人、ペルー人の友達もできました。テクノロジーのおかげで離れて暮らしている今でも彼らと連絡を取れることは嬉しいことです。

それぞれの国で体験したことがファンズワースさんの今の価値観や信仰に何かしらの影響を与えていると思いますか。

そうですね。人それぞれいろんな考え方があるというのを学びました。物事を解決する方法はひとつではないというのが一番の気づきです。ですから、表面上のことで相手を判断したりしないようになったと思います。

どこの国の人も望んでいることは同じです。幸せを感じながら過ごしたい。平和に暮らしたい。そういうどの国の人にも共通するものがあるのだと理解できると、人とうまくやっていけるように思います。

わたしには教会というコミュニティーがありましたので、どこに行っても安心できる場所がありました。それぞれの国でちょっとずつ事情が違いましたが...。例えば、中国ではアメリカ人だけが集まって、誰かの家でこじんまりとした礼拝集会を持ちました。地元の中国人はキリスト教の集会に出席するのを禁じられていましたので。タイでは現地の人と一緒に日曜日の礼拝に出席しましたが、集会は英語で行われていました。ペルーの教会にはたくさんの人が集っていました。わたしと家族はスペイン語を理解できますので、地元の人と一緒にスペイン語で行われる礼拝行事に出席していました。

他の言語もマスターしましたか。

スペイン語は話せます。中国語は話せませんが、少しわかります。タイ語は残念ながらマスターできませんでした。

そうですか。言語も含め、ファンズワースさんにとって難しいことがあったと思うのですが、どんなことが大変でしたか。

やはり、友達を作ることが大変でした。わたしは転校生という立場ですので、ずっとそこにいる人たちが持っている帰属意識や仲間意識というのがありませんでした。みんなもわたしに対して、そういうものを持っていませんでした。ですから、どうやったらみんなの輪の中に入っていけるのかを考えました。そのときに思いついたのが、人の助けになることでした。友人が何かで困っていたら、それを助けることにしました。それを繰り返すことで仲間意識が生まれるように努力しました。このことにはもちろん、家族の助けもありました。おかげでたくさんの友人に恵まれました。

難しい状況の中では自分の悩みのことを一番に考えがちです。特に、十代はそれと向き合うだけでも大変だと感じると思うのですが、それよりも相手の状況を優先して手を差し伸べることができたのはどうしてですか。

そうですね。自分のことだけを考えたくなってしまう難しい時期でした。ティーンエイジャーですから(笑)。気をつけていないとひとり殻に閉じこもって、自分の悩みだけにフォーカスして、「なんで誰も僕を助けてくれないんだろう」と考えたくなりました。いろんな土地を転々としていても、いつも友達に恵まれていたのですが、ある時期だけ一人も友達ができないときがありました。この時期はとても辛くて、なかなかどん底から抜け出せませんでしたが、母が助けてくれました。わたしが考え方を変えられるように励ましてくれたおかげで、「変わろう」と決心できました。

お母さんはどうやって励ましてくださったのですか。

いろんなことを試してみるように勧めてくれました。例えば、学校の活動、部活、教会で行われる同年代の活動に行ってみるように勧めてくれました。そして、日曜の教会にも行くように励ましてくれました。その時期、わたしにとって友達と呼べる人は母しかいなかったのですが、その母の行動から友達を作るにはどうすればいいのかを学びました。母はわたしのことを思ったからこそ、いろんな活動に行ってみることを勧めてくれたのだと感じましたし、そんな母から、見返りを求めない愛情とキリストのような深い愛を感じました。その頃ですね、キリストのことについて、彼の人生について聖書を開いて学ぶようになりました。わたしもキリストや母のような特性を持ちたいと思ったからです。

そうしたら、学校に行ったときにちょっとしたことで人を助けられるようになりました。授業でわからないことがあった人にその疑問について教えるとか、鉛筆を貸すとか、「元気?」と声をかけるとか。そういうことが友情の種を植えて、育てるためのきっかけになりました。

ジョセフ・スミスが言った言葉で好きなものがあるのですが、彼は、「もし自分の人生が友人のために価値あるものでなかったならば、そんな人生は意味がない。」と言いました。ヨハネによる福音書第15章13節には「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」とあります。イエス・キリストはいつでも彼の手を広げて、わたしたちの友であることを示してくださっています。ジョセフ・スミスの言葉とこの聖句は、わたしが毎日、彼らのような思いで友情を育むためにベストを尽くせるよう自分を後押ししてくれています。そうすると、友人を作ること、彼らのために何かすることにとても素晴らしい気持ちを感じます。どんな人にもよい友人が必要です。簡単なことではないですが、自分がその「よい友人」になることができます。試す価値のあることです。

まだ20歳という若さで、自分よりも相手のことを考えられる心の広さを持つファンズワースさんとの出会いは貴重な経験でした。彼と話すうちに、わたしも彼のようになりたい、努力してみる価値はある!という気持ちにさせられました。
環境の変化やそれに伴う苦労は良いことも生み出すことを、親子ほど年の離れたファンズワースさんから教えてもらいました。人生にあるアップダウンは、視点を変えれば自分にとってポジティブにもなるのですね。
※ジョセフ・スミス:  14歳の時、多くの宗派があるのはなぜかという疑問を持ち答えを求めて聖書を開いたところ、ヤコブの手紙1章5節にある「あなたがたのうち、知恵に不足しているものがあれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に願い求めるがよい」という言葉を読み、森で祈りを捧げました。後にモルモンの教会設立のために多大な貢献をする人物となりました。

 

関連記事

URL NOT FOUND
URL NOT FOUND

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

編集部ピックアップ記事

  1. 2018-3-30

    信子母さんのエッセイ第43回「レッスンが好き♪」

  2. 2017-9-22

    信子母さんのエッセイ第20回「手紙」

  3. 2018-8-4

    信子母さんのエッセイ第60回「married life (結婚生活)」

  4. 2017-5-29

    ハンコック長老インタビュー① いじめっ子だった過去

  5. 2018-4-20

    信子母さんのエッセイ第46回「『を』の使い方」

  6. 2017-8-25

    信子母さんのエッセイ第16回 「そう来たか」

  7. 2018-5-4

    信子母さんのエッセイ第48回「age (年齢)」

ページ上部へ戻る